宮澤賢治を大好きな人達が、よってたかって賢治を語ったファンブックである。
宮澤賢治は多くの人によって語られたり研究されているのでいまさら新しい発見はないと思う。
しかし、この作品には好きな者同士が集って好きな人のことを語る楽しさがあるので宮澤賢治好きな方には、ぜひ目を通していただきたい1冊である。
宮沢賢治に聞く
浅草橋に宮沢賢治がざしき童子となって出現!?
「ぼくは聖化されるのはいやです」と言う賢治に井上氏が日本語文体論を展開、そこへ啄木までが出現し、果ては啄木の日記を破った犯人探しが始まる―。
爆笑・架空インタビューをはじめ、「雨ニモマケズ」の手帖全頁など生原稿を多数収載。大好評、評伝「~に聞く」シリーズ、文庫化第二弾。
アマゾンより引用
感想
私自身、こんな本を買ってしまうくらい宮澤賢治好きなのだか賢治の神格化については、やや否定的なところがある。
これは賢治に限ったことではないのたが、すぐれた芸術家というものは、とかく後の人々によって神格化されることが多いのだが「激しく好き」というのと「神格化する」というのは似ているようで少し違う。
もっとも、好きがこうじると恋の盲目にも似てくるだけに、どうしても神格化してしまうのは仕方のないことなのかも知れないのだが。
この作品にも「神格化した賢治」を感じないではなかったが賢治を愛する人達が、囲炉裏端で酒を呑みながら賢治を語っているような「同好の志」が集って宴会をしているような気安さがあった。
その求め方や、感じ方が合っているとか、間違っているとか言うよりも「わかります。そういうところがイイんですね」と肯いてしまいたくなるような、自分も参加したくなるような「賢治語り」が多かった。
中でも私がいっとう気に入ったのは井上ひさしの一節だった。
カナシイ夜は枕元に「賢治全集」を並べておくのである。
たしかに宮澤賢治の作品はカナシイ夜や眠れない夜にもってこいかも知れない。
ちなみに、私が宮澤賢治に感じる魅力とは言葉の美しさでも、思想でもなく、作品に漂う孤独感である。その感じ方が、正しいのかどうかは分からないけれども。
親切丁寧な作りになっているので、ファンが読んでも楽しいしあるいは国語の宿題にも使えるかも知れない……と思える1冊だった。