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追悼の達人 嵐山光三郎 新潮社

文学界で活躍した作家達の追悼文と、それにまつわるエピソード通して作家と文学を「死」や「追悼」という視点から語った作品。

夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成……などなど国語の教科書に出てくるであろうラインナップが網羅されていていた。

読む前は「追悼文」を通して、作家の人となりや友情が見えてくるものかと思っていた。

しかしこの作品は「文学」というものに携わる人たちの人間関係だの、葛藤だのがメインになっていて作家同士の「追悼文」というものは、その人の死を惜しむだけのものではないと知った。

追悼文で作家の文学的な功績を湛えたり、逆にその作家を否定してみることで新しい文学を生み出す礎になっていた……なんて驚きだ。

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追悼の達人

夭逝、自死、その他さまざまな死のかたちは、作家の「人生」というもう一つの作品を完結させる重要なファクターとなる。

漱石、荷風、谷崎、三島由紀夫ら明治・大正・昭和の文人四十九人に寄せられた追悼を通して、彼らの生身の姿を照射し、近代文学史の新しい一面を拓く

アマゾンより引用

感想

たくさんの「追悼文」を読んでみて分かったことをいくつか列挙してみると……当然のこととして若くして死んでしまった作家は必ず惜しまれる。

長生きした作家は、あまり素敵な追悼をもらえない。

やっぱり「自殺」は衝撃らしく、色々な意見が飛び交う。素晴らしい追悼文を書く作家は、なぜか人から素晴らしい追悼をもらえない。

……などほかにも色々。

作家の書く文章だから、素晴らしい追悼文が多いのだろうと思っていたのだが、たとえ高名な作家でも生身の人間らしくて素晴らしい追悼文よりも、個人へのやっかみ半分で書かれたものが多かった。

それは新しい文学を作るためのプロセスと言えなくもないが中には「子供じゃないんだから」と思わざるを得ないものも多かった。

やはり「死」は突然やってくる事なだけに、どんな人間でも冷静ではいられないということなのだろうか?

ちなみに三島由紀夫や川端康成は素晴らしい追悼文を書く人ととして知られていたらしい。

特に川端康成の追悼文は、非のうちどころが無い…という印象を受けた。

個人を貶めるでなく、かといって賛美し過ぎるでもなく、それなりに惜しんで、礼儀正しく送り出すという雰囲気のものが多かった。

情に厚い、義の人だからというよりも、むしろ「死」を見つめる冷徹な視線が、そうさせるのかも知れないと思った。

素晴らしい追悼文を書いた三島由紀夫も、川端康成も、そろって自殺という道を選んでいるあたりは複雑な気分である。

「死」を考える人だからこそ、素晴らしい追悼文が書けたのかも知れない。

楽しいタイプの作品ではなかったが、興味深い1冊だった。

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白い木蓮の花の下で
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