私にとって中山可穂は恋人のような存在だった。
長年読書をしていると必要以上に思い入れしてしまう作家が出てくるものだ。父的存在は遠藤周作と吉村昭。母的存在は有吉佐和子と河野多恵子。そして中山可穂は恋人。
しかしこの作品を読んで彼女は私にとって、もはや昔の恋人になってしまったのだなぁ…って事を痛切に感じた。
ゼロ・アワー
殺し屋に家族全員を殺され、ただ一人生き残った少女は復讐を誓う。
その男にたどり着く手がかりはタンゴとシェイクスピア。東京とブエノスアイレスを舞台に、“ロミオ”と“ハムレット”の壮絶な闘いが幕を開ける。
アルゼンチン軍事政権時代の暗黒の歴史を絡めた復讐劇はどこへ向かうのか?
タンゴのリズムに乗せて破滅へとひた走る狂気のような疾走感、切なく痛ましい殺し屋としての宿命。美しく、激しく、圧倒的な切なさが胸を撃つ、著者新境地のノワール長篇。
アマゾンより引用
感想
今回は一応ミステリー要素と言うかネタバレしちゃうと駄目なタイプの作品なので、全てを書く事が出来ないけれど、ザックリ説明すると主人公はタンゴと猫が好きな殺し屋で、昔殺したターゲットの生き残りの少女とダブル主人公っぽく話が進んでいく。
そう言えば前作の『娘役』の時もヤクザの男が主人公だったけれど、中山可穂の描くカッコイイ男性は少女漫画ちっくで戴けない。
少女漫画とかアニメの登場人物だったら充分にアリだけど、大人の読み物として読むと幼稚でしかない。
読み物としての及第点は充分あると思う。
しかし「餅は餅屋」ではないけれど、その道で行きてきた作家さん達が描くそれらと較べると稚拙でしかない。
タンゴと猫とクレイジーな美人主人公。中山可穂の大好きな物をぶっ込んできたのは分かる。でも…それだけだ。
この人はもう、自分の趣味全開の玩具みたいな小説しか書けないのかと思うと、悲しくて泣けてきた。泥の中を転げ回るような恋愛小説はもう読めないのだろうなぁ。
作家だって人間だ。作品を生み出していくにあたってピークとか旬のようなものはあると思う。大作家と呼ばれる人でさえ全ての作品が名作かと言うと意外とそんな事はない。
なので中山可穂が路線変更したところでファンがとやかく言えたものではないのだし、むしろ何年もの空白期間を思えば「こっちの世界に戻ってこられて良かったなぁ。
それなりに新規のファンも出来たっぽいし良かったなぁ…と祝福したい。
だけど、もう私にはついていけない人になってしまった。少なくとも「新刊が出たらとりあえず読む」と言うスタンスは止めようと思う。
巷の評判が出揃ってきて「これはイケるかも」と感じた時だけ読むようにしたい。
「今までありがとう」と言う気持で一杯になってしまった。
1度好きなってしまった作品や作家さんを嫌いになる事はないけれど、これからは大切な宝物として自分の中に仕舞っておこうと思う。