先日、友人と「江國香織ファンの女性って多いけど、彼女の作品って好きになれないんだよね」という話をした。
「どこが嫌い」という具体的なことは分からないまま「なんか嫌い」という結論でもって話が終わった。彼女の感性や文体だけなら、どちらかというと好きな部類のはずなのに、何故だかしら嫌いなのだ。
自分でもずっと「どうして嫌いなんだろう」と不思議に思いつつ、今回『冷静と情熱の間』を読んでみた。
で、今日は江國香織ネタ。どちらかと言うと読書日記的。なので読書に興味のない方はサラッと流していただきたいな……と。
結論から言うと『冷静と情熱のあいだ』は恋愛小説で、かつ私の大嫌いなパターンだった。
ちなみに、恋愛小説を書く大好きな女性作家さんは中山可穂。酷い話も、下手な小説も多いのに「やっぱ好きなんだなぁ」ってところに落ち着いてしまう作家さんである。彼らの作品のどこがどう好きで、嫌いなのかを自分の中で分析してみた。
たとえばゴールのボールを運ぶ……というようなサッカーとかバスケット的ゲームがあったとする。でもコートの中には色々な色と形のボールが転がっていて、そのボールをゴールに運べば1点。というゲームをプレイしてみた……というパターンで考えてみた二人の印象。
まずは江國香織。ゆっくりコートを見渡して、いくつかお気に入りのボールを見つけて、それを同時に運ぼうとする。どれも大切に、だけど1度で運ぼうとするので危ういバランスで。慎重に歩いてみたり、時には小走りになってみたり。長所はボールの丁寧な扱いと危ういバランス感覚。
一方、中山可穂。コートの中の「特別なボール」をすかさず見つけて両手で鷲掴み。胸のあたりでガシュッっと抱え、ラガーマンのように猛ダッシュ。他のボールのことは、チラッとも考えない。長所は一途で潔いプレイ。
どちらも魅力的だが、しかし、どちらにも短所はある。
江國香織は同時にボールを運ぼうという姿勢が狡猾な感じ。自分の中では一生懸命であっても、ボールに対する力の配分は決して真摯ではない。中山可穂の「思い込んだら」の姿勢は素敵だけれど「飽きちゃったし、もういらないや」となると、それまで夢中だったボールをゴミ屑のように捨てる残酷さを含んでいる。それまで抱えていたボールに対して、これ以上酷い仕打ちはないだろう。
で。敢えて自分を当てはめてみるなら、断然、中山可穂のプレイタイプなんだな。恋愛に限らず、生きる姿勢が。
今まで江國香織が嫌いなのも、中山可穂が好きなのも自分の中でイマイチ納得できる理由が見つからなかったのだけど、たぶんこの辺が好き嫌いの分かれ目なんぢゃないかな……なんてことを思った次第。
自分の中で燻っていた数年来の疑問が解けて、ちょっとスッキリした。もちろんこれは、あくまでも私の感じた作家感、作品感なので合っているとか、間違っているとかってのは別問題である。
とりあえず来月に出る中山可穂の新刊が楽しみでならない。