大ヒットした『博士の愛した数式』以来の名作との評判で、小川洋子好きとしては読まない訳にはいかないでしょう……と、遅ればせながら読んでみた。
悪くは無いと思う。そこそこ面白いとも思う。
でも「ガツン」と心に響いてこなかった。たぶん、この作品を書いたのが作者じゃなくて、新人作家さんなら「面白かった」と評価していたと思う。
でも、磨き上げられたナイフのようにキレのある小川洋子を知っている読者としては「いまいち…」という評価しか出せない。
猫を抱いて象と泳ぐ
「大きくなること、それは悲劇である」。
少年は唇を閉じて生まれた。手術で口を開き、唇に脛の皮膚を移植したせいで、唇に産毛が生える。そのコンプレックスから少年は寡黙で孤独であった。
少年が好きだったデパートの屋上の象は、成長したため屋上から降りられぬまま生を終える。廃バスの中で猫を抱いて暮らす肥満の男から少年はチェスを習うが、その男は死ぬまでバスから出られなかった。
成長を恐れた少年は、十一歳の身体のまま成長を止め、チェス台の下に潜み、からくり人形「リトル・アリョーヒン」を操りチェスを指すようになる。
盤面の海に無限の可能性を見出す彼は、いつしか「盤下の詩人」として奇跡のような棋譜を生み出す。
アマゾンより引用
感想
小川洋子の作品は大きく2つに分類される。
1つは芥川賞を受賞した『妊娠カレンダー』や『ホテル・アイリス』あるいは『薬指の標本』のような毒を含んだ作品群。
もう1つは大ヒット作品となった『博士の愛した数式』のように毒が無くて読みやすい作品群。
今回のさく品は間違いなく後者の部類。一般的には受けが良いと思う。でも、いささか物足りないのだ。
この作品は「チェス」の世界を描いている。
文章は綺麗だし「チェスって素敵かも…」と思わせるものはある。主人公だって魅力的だ。しかし魅力的な主人公は、あくまでも「魅力的」止まりであって、行きつくところまで行ってないのだ。
「ああ、この人は普通の世界では生きていけないんだなぁ…」という哀しみが足りなかった。
孤独と言えば孤独なのだけど、かつて作者が生み出してきた主人公達に較べると、非常に生ぬるい。
作品を緩慢にしてしまった、もう1つの要因は主人公とヒロインの恋のありかただと思う。
ラスト近くで「離れていても想いあっている2人」になったくだりは良いとしても、なんだかなぁ…恋に対する覚悟のようなものが感じられず、自己満足の領域で恋愛ごっこを楽しんでいるような印象を受けてしまった。
もう1度『ホテルアイリス』のような、ぶっ飛んだ新作を読みたいなぁ……と思わずにはいられない。
小川洋子はこういう路線で満足しちゃう作家さんになってしまったのだろうか。なんともガッカリさせられた1冊だった。