最近、身も心も夏バテ気味だったので「軽い物が読みたい」「楽しい物が読みたい」と手に取ったエッセイ集。
予備知識無しで「佐野洋子だし、そんなに重い話じゃないだろう」と言う程度の認識だった。まぁ、確かに読みやすいっちゃあ読みやすかったけれど、軽いかと言われるとそんなに軽くはなかった印象。
「あ~面白かった」だけでは許してくれない感じで、意外と真面目なエッセイだった。
神も仏もありませぬ
呆けてしまった母の姿に、分からないからこその呆然とした実存そのものの不安と恐怖を感じ、癌になった愛猫フネの、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるみ、その静寂さの前に恥じる。生きるって何だろう。
北軽井沢の春に、腹の底から踊り狂うように嬉しくなり、土に暮らす友と語りあう。いつ死んでもいい、でも今日でなくていい。
アマゾンより引用
感想
口はばったい言い方だけど、面白かった事に間違いはない。
私は佐野洋子のファンではない。『100万回生きたねこ』の作者と言う程度の認識しかなくて、先日読んだ育児系のエッセイが良かったので「もう1冊くらい読んでみようかな」と思った程度。
だけど、この作品を読んで私は佐野洋子の事をちょっと好きになってしまった。
憧れちゃうってタイプでもないし、尊敬しちゃうってタイプでもないんだけど、好き勝手楽しそうに生きてる感じが好印象。
例えば。作品の中で佐野洋子の知り合いがお葬式をするエピソードか登場するのだけど、作者はそれを感心したり、田舎で大家族制が残っている事を憧れを交えて書いているくせに、結論は「家で葬式をするのは大変」ってところに落ち着いている。
まぁ、実際そうなのだ。人間は浪漫だけでは生きられない。そのあたりにバッサリ切り込みつつ、自分とは違う価値観を持つ人達への尊敬の念を忘れないところが素晴らしい。
佐野洋子は既に故人となっている訳だけど、この作品は作者が65歳の時に書かれている。「老いていく自分」に違和感があるあたりは、いくつになっても同じなのかな……なんて事を思った。
私は現在43歳なのだけど作者が感じていたことと全く同じことを感じている。
「いったいいくつになったら大人になるのだろう。」と言う佐野洋子の言葉は、そのまま私が普段感じている疑問に重なってくる。
そして、作中でその答えは書かれていない。
このエッセイ集では「老い」にまつわる話がいくつか書かれているのだけれど「分かるわぁ」とか「それってよく聞くよね」と言うようなエピソードが多い。
佐野洋子の友人や自身の介護の体験も興味深い。なんだか気のおけない女友達と親の介護について語り合っているような気持ちになってしまった。
佐野洋子が自身の母親を介護施設にお願いした時「母を捨てたと思っている」と書いているくだりには胸が苦しくなってしまった。
介護問題って綺麗事だけでは済まされない。このエッセイ集の題名『神も仏もありませぬ』、実に上手くつけたな……と感心する。
「老い」だの「介護」だの、気の滅入るようなネタもあるけれど、気の抜けた「老年期あるある」のような話もあるし、作者がベッカムに夢中になってしまう話だの明るい話ある。
暗い話から明るい話まで盛りだくさんで、お得感のある1冊だと思う。
2004年度の小林秀雄賞受賞とのことだけど、なるほど納得。
介護だの老いだのがテーマになっているので、若い人だとピンとこないネタも多いかも知れないけれど、少なくとも40代の人なら何処かしら共感出来るところがあるのではないかと思う1冊だった。