読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

体操協会と宮川紗江選手への暴力指導問題。

記事内に広告が含まれています。

私はどちらかと言うとゲスなニュースは興味ない派なのだけど、体操協会と宮川紗江選手への暴力指導問題については無関心ではいられない。

娘は小学校4年生の時から体操を習っていて中学生以降どういう方向に進むべきかと悩み中なのだ。

娘は体操を習い始めるまで、体操に興味はなかったし、そもそも体操を習い始めたキッカケも「バク転とか出来たらカッコイイよね!」くらいの、ゆるふわなノリ。まさか娘がここまで体操にハマるとは思ってもみなかった。

娘に体操を習わせてみて感じたのは、体操って習い事はちょっと特殊な世界だってことだ。

残念ながら娘は本気で体操を志すには遅過ぎる年齢だ。もちろん選手になってオリンピックを目指すだけがた体操ではないし、中学校のクラブ活動で初めて体操をはじめる子も沢山いる。しかし基本的にオリンピック級の選手たちは2歳、3歳から体操をはじめるのが当たり前とされている。

人間離れした動きを身につけるための練習量は凄まじいものがあり、それこそ本気で体操を志すなら、生活の全てを体操にお捧げする覚悟が必要になってくる。

体操はそこそこ難しい技をこなすようになってくると、安全を確保するため「一対一の補助」が必要になるため、選手とコーチの関係は他のスポーツ以上に濃い。

体操のコーチ達は選手に怪我をさせないために尽くしてくれる部分がある反面「選手として育てたい」と思う子に対する指導はどうしても厳しくなりがちだ。

娘はなんだかんだ言ってエンジョイ勢でしかないので、そこまで厳しい指導を受けていないのだけど、本部教室の選手達の指導を観ていると、我が子じゃなくても胸が痛くなるレベル。

私も宮川紗江選手が平手打ちされている動画を見たけれど「まぁ…ありえる話だな…」と思ってしまった。

娘の体操教室で暴力指導があるとは思っている訳ではないけれど、あの場面や雰囲気は容易に想像する事が出来た。それくらい体操の指導は「厳しくて当たり前」な風潮があるように思う。

じゃあ、どうして選手達はそんな酷い指導を受けながらも体操を続けているのか?

答えは実に簡単で「体操が上手くなりたいから」の一点に尽きる。実際、娘の体操教室にも、怖い先生がいて娘も「○○先生は怖いからなぁ…」と憂鬱な顔をする。「じゃあ○○先生の日は外そうか?」と提案すると、娘は断固として嫌がるのだ。

「○○先生は怖いけど教えるの上手だもん。○○先生に教えてもらった後は上手くなってるのが自分でも分かる」と。

宮川紗江選手もきっと「体操が上手くなりたい」と言う一心でコーチについていったのだと思う。

ただ大人の目から見ると「ちょっと待って! もう少し世の中を広い目で見てもいいんじゃないの?」と思ってしまう。ただ体操選手達が育ってきた状況を考えると「まぁ…無理もないか」と言う気持ちになるのも事実だ。

幼い頃から体操一筋できた子達の世界は驚くほど狭い。

体操は野球やサッカーから較べるとマイナーなスボーツなので、業界自体が狭いのだ。しかも幼い頃から「学校から帰ってきたら毎日何時間も体操の練習をして、あとは寝るだけ」みたいな生活を続けているので、体操教室の中だけが世界の全てになってしまう。

実際、娘の体操教室の選手コースにいる、とある子は小学校低学年にして「オヤツ禁止」「他の習い事禁止」「ゲーム禁止」の生活をしていて、それが当たり前だと思っている。ベネッセの「しまじろう」とか「子どもチャレンジ」的な物も「時間の無駄」とのこと。完全に体操に特化した生活を送っている。

宮川紗江選手は小学生の時から速見コーチの指導を受けているとのこと。2人の関係がどれだけ濃いものだったかは容易に想像出来る。

私は部外者なので「誰が悪い」とか「何が悪い」とかは全く分からない。しかし未来ある若い選手が活躍出来ないのはモッタイナイと思う。

そして、これを機に体操界は選手の指導について考え直す必要があると思う。

そうでなければ、いつまでたっても体操はメジャースポーツにはなり得ない。サッカー界が地味な努力を続けて、サッカーをメジャースポーツに押し上げた努力を体操もやっていくべきだろう。

私は今でも体操の事は好きでも嫌いでもないけれど、人の子の親として子どもが大人から暴力を受けるのは基本的に容認出来ない。

体罰を全否定するつもりはないけれど、悪いことをした我が子の頬を親が叩くのと、指導の場で暴力が出るのは違う。

体操に限ったことではないけれど、体育会系の人達の暴力は私には一生理解できないと思う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
体操
スポンサーリンク