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小学校の国語教育。

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娘が国語の授業で詩を作ったのだけど書かされている感満載の作品が出来上がった。

学級通信に掲載されていた物も「作らされた」「宿題だから作った」と言うものばかりで、それらは詩と言うよりもただの短文だった。

もともと「詩」の定義なんてあって無いようなものではあるけれど、それにしたって酷いありさまでガッカリした。

小学校の教育は教育に携わる人達の努力の結果私達が子どもの頃よりもずっと進歩していると思う。特に算数の教え方は驚くほど分かりやすくなっていると思うし、理科や社会も実生活に根ざしたものとなっていて好ましく思う。

しかし国語はダメだ。

たまたまかも知れんないけれど、娘の担任を受け持ってくれた3人の先生の中で「この先生の国語指導は素晴らしいな」と思える人は1人もいなかった。

日本の教育は理系押し。数学と理科に力を入れていて小学校でもプログラミングの授業をしようかと言う流れ。どうやら国語は置き去りになっているような気がする。

娘が3年生に上がってからは国語については私が少し雑学的な事を補足している。

そうすると娘も興味を持ってくれるし、苦手な作文なんかも苦手だと思わなくなってきた。

その時の経緯にについては以前『作文苦手な小学生の為の作文の書き方。』について書いているけれど、詩についてもちょい足しする必要があるな…と感じた。

…とは言うもの。実のところ私自身、詩を書くのは得意じゃない。

詩人の魂を持っていないので、読むのは好きだけど書くのは苦手だ。だからと言って小学生に上手く見せるためのテクニックだけ教えてもどうかと思うので、ある本を参考にしながら「詩」についてレクチャーした。

私が使ったのは灰谷健次郎が編集した『たいようのおなら』と言う子どもの詩を集めた詩集。私の手元にあるのは1980年度版。非常に感銘を受けた1冊なので捨てずにずっと持っていた。

ゆき
うえだしんご(5歳)

ふくのうえにとまって
なかにかくれて
ねてしもた

おおあめ
こしょう ゆみこ(7歳)

きのうは おおあめでした
みぞが たきになっています
そらが おちそうでした

『たいようのおなら』より引用

子どもの詩の教科書としては超オススメの1冊。

私の好きな作品を2つほどご紹介させてもらたけれど、この作品以外に素晴らしい作品が沢山掲載されている。娘にこれを読ませたら「詩って、こんな感じでいいんだ!」と嬉しそうだった。

この本を読ませた上で、さらっと詩の中のリズムについて、オノマトペ、体言止めの効果、あと若者に流行りの歌の歌詞を使って「こう言うのも詩の仲間だよ」と解説したところ「これなら嫌じゃない! 面白いね」と娘も楽しくなってきたらしい。

詩の授業のラストでもう1度、詩を作るようなのでこの調子なら嫌々書かされるのではなく、楽しんで書けるのではないかと思う。

これはあくまでも私感に過ぎないのだけど、国語教育については私達が子どもの頃よりも低下している気がしてならない。

娘だけでなく同じ年の子の作文を読んでいても「この年齢でこの程度の文章しか書けないのか…」と驚かされる事が多々ある。

心の教育とか、感性を育てるとかは捨て置くにしても、まともな文章をサラッっと書ける人間にしておかないと大学に入っても論文とか書けないのではなかろうか? 文章力なんて急に伸びる物じゃないので小さい頃から少しずつ訓練させておく必要があると思う。

こんなところで愚痴ってみたとろで仕方がないので、娘についてはその都度補足を入れていこうと思う。

需要なさそうだけど中学受験とは違う方向で小学生の国語塾を開いて国語好きな子どもを育成したい…と思ってしまった。

本の読み方、詩歌の味わい方を仕込んで、苦痛なく作文と読書感想文の書ける子にします…的な。そんな事を考えてしまうくらい今の小学校の国語の授業は面白くない。

念のために補足しておきますが、国語教育に力を入れている小学校や、先生がいらしたらお気を悪くされませんように。

「娘の通っている小学校の国語教育は」と言う前提の話ですので悪しからず。

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