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生活年齢と発達年齢。

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私が勤務している医療型児童発達支援センターでは身体障害、知的障害、発達障害を持つお子さんや医療的ケアが必要なお子さんの保育を行っている。

世間的には「療育園」と呼ばれていて、その世界を知らない人に説明するなら支援学校の幼稚園・保育園版…ってところだろうか。

比較的障害の重いお子さんが多くて「来年から1年生(6歳)の年長児です」ってお子さんでも発達検査をすると「1歳6ヶ月です」とか「2歳です」って方が多い。

年長児でも発達年齢が1歳6ヶ月のお子さんに対して、1歳相当の活動(遊び)を行っているか…と言うと、そうではなくて保育の世界では発達年齢以上に生活年齢を大切にしている。

生活年齢とは 誕生日を起点とした暦の上の年齢のことで、私達が一般的に「◯歳です」と使っている年齢のこと。

生活年齢を大切にしている保育の世界では例え発達年齢が1歳であっても5歳であれば5歳として扱うし赤ちゃん言葉は使わない。年下の子には「お兄さん・お姉さん」として紹介するし、本人にも「お兄さん・お姉さん」として年下のお友達より年長であることを促していく。

自分が年を取った時に周囲から「おじいちゃん。◯◯しましょうね」みたいな感じで幼児として扱われるのって嫌ですよね?」ってこと。

この感覚は職場で働く保育士達にとっては共通認識としてあるけれど、同じ職場で働いていても訓練部の職員(理学療法士・言語療法士・作業療法士)は違う考えの人が多くて、生活年齢が高いお子さんに対して赤ちゃん言葉で接することがある。

彼らの言い分は「えっ? だって発達年齢は◯歳ですよね」ってこと。

これはなかなか難しい問題で正直どちらの意見が正しいとは言い難いところではある。

例えば…だけど、小麦粉粘土で遊ぶとする。

  • 2歳児→粘土の感覚を楽しむ
  • 3歳児→粘土をちぎったり丸めたりする
  • 4歳児→粘土で何にか作る
  • 5歳児→粘土で作った物を売ってお店屋さんごっこをする

……みたいな形で遊びを展開させていく流れの中で、例え5歳児であっても発達年齢が低い場合はお店屋さんごっこより、粘土をペチペチするだけで充分楽しいよね…みたいな事が起こってしまうのだ。

個人的には発達年齢より生活年齢を大切にしたいと思っているけれど「本当にそれで正しいの?」と言われると正直なところよく分からない。

だけどいくら知的な発達が遅れていても「人として生活していく中での積み重ねは大きいんじゃないかな?」って実感はある。実際、知的な発達が1歳児相当だったとしても1歳児が喜ぶ遊びでは物足りない…なんてことは多々あるのだもの。

発達年齢と生活年齢に相違がある場合、どんな風に接して良いのか問題は難しいところだとは思うのだけど、それでも私は子どもが相手の仕事だとしても相手に対する年齢相応の敬意は必要なんじゃないかな…と考えている。

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