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娘と私。思考の方向性が違い過ぎる。

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娘と私。思考の方向性が違い過ぎる。

「娘は私と真逆の人間なんだな」って事は娘が幼児の頃から確信していたけれど、娘が大人に近付いてくるにつれて、考え方の違いが明確になってきた。

先日、娘が「古文で伊勢物語の筒井筒をやってるんだよね」と言う話を振ってきた。筒井筒は伊勢物語の定番エピソードなので、多くの日本人が触れている話だと思う。

井戸端で背比べをした幼馴染が紆余曲折を経て結ばれる…と言う物語。娘は筒井筒のエピソードがお気に入りとのことだけど、私は筒井筒が好きじゃない…と言うか興味が持てなかった。

私は幼少期から「半径10メートル圏内の恋愛」が好きじゃないのだ。「いやいや。そんな普通な話を読まされるとか勘弁してくれませんか?」みたいな気持ちになってしまう。恋愛物は突拍子がない方が好きで、身分違いだったり、年の差だったり、生きるの死ぬのだったりしないとグッと来ない。

自分がそんな恋愛を臨んでいるか…と言われると、そうではなくて、実生活の場合は身近な幸せを大事にしたいと思っているけれど、だからこそ脳内世界くらいはぶっ飛んでいる話が好きなのだ。

娘は幼少期から「半径10メートル圏内の恋愛」が大好き。娘の言い分によると「ドラマティックな恋愛はリアリティがない。そもそも論として恋愛小説はドラマティックになる傾向が強いけど嘘くさいし、そんな嘘くさい物語を読まされるのは飽きた」とのこと。

娘は片方が死んじゃう系、記憶無くなっちゃう系の恋愛小説が大嫌いだし『天気の子』のも嫌いとのこと。「はぁ? 普通に考えたらは恋人云々より世界を救うのが先でしょ?」と思っちゃうらしい。

『美少女戦士セーラームーン』で「はるかがいない世界なんて、守ってもしょうがないじゃない」と、世界を救うよりも恋人を選んだじゃうようなセーラーネプチューンこと海王みちるのようなキャラクターは娘にとって万死に値する存在ってことだ。

伊勢物語の筒井筒で描かれた「幼馴染の恋愛」は私にとって「そこら辺に転がっているような普通の話」でしかないけれど、娘にとっては「これぞ等身大の恋愛…エモい」となる。

娘と私のやり取りを横で聞いていた夫は「バンドだったら方向性の違いで解散してるな」と笑っていた。

娘と私は何もかもが違い過ぎる。娘は体育会系だけど私は文化系。娘は理系脳だけど私は文系脳。宝塚歌劇にしたって娘はショーが好きだけど、私は断然芝居が好き。

子どもって育て方も重要だけど本質的なところは生まれ持っているんだなぁ…とシミジミ思う。娘は娘自身が「こうなりたい」と思うように育ってもらいたい。

娘と私は方向性が違い過ぎるけれど、娘と話をするのはとても楽しい。娘が小さい頃、子育て先輩から「今が1番可愛い時よ。子どもなんて大きくなったらツマンナイわよ」みたいな事を言われたものだけども、大きくなったらなったで別の楽しさがある。

小さい頃の娘は可愛かったけれど、今の娘も違う可愛さがあるし1人の人間として対等に接することが出来るようになってきて嬉しい。そのうち私が老いる事で娘と対等じゃなくなる日が来るのだろうけど、今しばらくは対等の関係を楽しみたいと思う。

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