黄金週間に野田サトルの『ゴールデンカムイ』を1話から最終話まで一気読みした。
私、ゴールデンカムイ』はアニメから入った勢なので歴が浅い。アニメ化されている部分は全部観ているし、なんだかんだで追ってはいたけど物語をしっかり捉えることが出来ていないと思ったので「最終話まで無料で解放します」ってキャンペーンに乗っかってみた。
改めて読み返してみて思ったのだけど、みなさんどれくらい『ゴールデンカムイ』を理解して読んでおられたのだろうか?
恥ずかしながら私はよく分かりませんでした!
……で。分からないなりに考えたことをツラツラと記しておく。無駄に長くなってしまったのはご愛嬌。
なお今回は自分自身の脳内整理を目的としたネタバレありきの内容なのでネタバレNGの方はご遠慮戴きたい。
ゴールデンカムイ考察
『ゴールデンカムイ』は野田サトル作の漫画作品。明治末期、日露戦争終結直後の北海道周辺を舞台に隠された金塊をめぐるってサバイバルバトルが繰り広げられる。
戊辰戦争・日露戦争・ロシア革命の歴史的背景を踏まえつつ、アイヌの民族文化にも切り込んでいる。
主人公、杉元佐一(不死身の杉本)とアイヌの少女アシリパを軸に金塊の隠し場所を示す「刺青人皮」を解読し、金塊の争奪戦が繰り広げられる。
私は『ゴールデンカムイ』を金塊の在り処を解読して「誰が金塊を手に入れるのか?」ってところがテーマのミステリとバトル要素を盛り込んだ漫画だと思ってたのだけど、しっかり読み進みていくと、どうも違う気がする。
ゴールデンカムイ(アニメ等)で話題になった名場面
漫画連載時&アニメ放送後に話題になった場面をいくつかピックアップしてみる。
……と言うのも『ゴールデンカムイ』って本筋そっちのけでネタに喰い付く人達が多かった気がするのだ。実際、描写が面白くて魅力的だったので仕方がない部分も多々ある。
ヒンナヒンナ
ゴールデンカムイにおいてアイヌの食生活はかなりのウェイトを占めていた。
そこで登場するのが「ヒンナ」と言う言葉。ヒンナは「美味しい」を意味するアイヌの言葉で『ゴールデンカムイ』の中で何度となく繰り返される。
アイヌの少女、アシリパは杉本達にアイヌの食を振る舞うのだけど、それがとても美味しそうなのだ。
特に印象的だったのがチタタプ。アイヌ風タルタルステーキで「チタタプ、チタタプ」と唱えながら、獣の肉を叩いて作る。
また、動物の脳を食べる場面も多く、最初は抵抗感を持っていた杉本もいつしか慣れ親しんでいく。
また、アシリパも杉本の持参した「味噌」を最初は「オソマ(うんこ)だ」と警戒していたが、いつしか気に入るようになって喜んで食べることになる。
食に関しては異文化コミュニーケーションがしやすいのだなぁ…と感慨深いものがある。
ラッコ鍋
『ゴールデンカムイ』を語る時「ラッコ鍋」のエピソードは欠かすことが出来ない。
「ラッコ鍋」とはラッコの肉で作る鍋のことで、一種の精力剤と言うか催淫剤のような役割を果たす…とされている。
男女間だとリアルに子作り(SEX)に結びつくもので『ゴールデンカムイ』の中でも谷垣とインラマッカはラッコ鍋がキッカケで結ばれている。
……で。巷がザワついたのはラッコ鍋を食べた男達の反応。
ラッコ鍋を食べた男達はムラムラとして、互いの魅力にあてられて相撲をはじめた…と言う事になっている。
要するに男色系の何かがあったのでは(?)って解釈だし、公式的には「相撲をした」ってことだけど、そこを突っ込むのは野暮って話。
スチェンカ
スチェンカとはロシアに伝わる格闘技(?)的なもの。祭りで奉納されていた…みたいな話もあるし、ロシアのキックボクシング…と言う説もあるけれど、特定と言うには弱い気がする。
そもそも論として『ゴールデンカムイ』は論文ではなくて漫画なので100%事実である必要はない。
ノリとしては完全に小学生男子のそれだと思う。馬鹿みたいにムキになって殴り合う姿は男性の心を鷲掴みにした(と思う)。
バーニャ
バーニャとはロシア式のサウナのこと。
ここ数年、日本ではサウナブームが起こっている…ってこともあって、話題になっていた。
もちろん日本のサウナは健康的に楽しむことが目的だけど『ゴールデンカムイ』の場合は我慢比べ的な要素があって、界隈ではかなり盛り上がっていた。
『ゴールデンカムイ』のバーニャ回の放送後ではあるけれど温泉施設のトラブルで「サウナが高温では入れません」とのTweetには28万もの「いいね」が付いてしまったことがある。これは『ゴールデンカムイ』の影響もあったのではないかな…と推察される。
申し訳御座いません。
ただいま男性サウナが人間が入れないほど高温になってしまい御利用いただけません。御利用予定のお客様には大変御迷惑をお掛け致します。また修理のほうが終わり次第報告させていただきます。— 八尾グランドホテル (@YaoGrandHotel) March 29, 2022
リプ欄を読むにつけ『ゴールデンカムイ』のスチェンカを思い出した人も多数いた模様。
金塊を狙う3つの勢力
…と。話が豪快に横道に逸れがちだけど、本題となる「金塊争奪戦」について。
『ゴールデンカムイ』が「金の神(カムイはアイヌの言葉で神)」である以上、金塊の争奪戦から目を背ける訳にはいかない。
最初にも書いたけれど金塊の在り処は不明。金塊の場所については網走監獄に投獄された犯罪者に彫られた「刺青人皮」を解読する必要がある。
金塊の在り処はアシリパの父、ウイルク(のっぺらぼう)が知っている…とされている。
そしてその金塊を得ようとする勢力はザックリと3つに分類された。(物語の途中から共闘する場面もある)
アシリパ&杉本の一派
アシリパは金塊の正当な後継者…みたいな位置づけ。
アイヌの少女、アシリパを中心に不死身の杉本をはじめ、脱獄王白石等、なかなかに濃い面子が集結する。
アシリパは『ゴールデンカムイ』の良心とも言える存在でアシリパ抜きにして『ゴールデンカムイ』は語れないし、解毒剤のような存在。アシリパがいなければタブー要素がてんこ盛りの『ゴールデンカムイ』は成り立たなかったと思う。
鶴見中尉と第七師団
金塊への野望を胸に秘めた鶴見中尉を中心にした第七師団は戦争のスペシャリストで猛烈に強い。そして鶴見中尉は軍人として超優秀…って設定。
さらに言うなら鶴見中尉の部下達は異常なまでに鶴見中尉を敬愛している。
鶴見中尉の人たらしは異常なもので、もはや恋愛の粋。実際、作品中でも行き過ぎる…と言うか恋愛ちっくな感情をほのめかすよなう描写が多数描かれている。
…思うに。戦争映画とか戦争設定が好きな人の心に鶴見中尉と第七師団のエピソードは刺さると思う。
ハリウッド系の戦争映画でも「軍人の繋がり」とか「上官に対する猛烈な親愛の情」みたいな感情はワンサカ描かれてきているし、戦争設定において定番中の定番ではある。
そう言えば、みんな大好き『戦場のメリークリスマス』もなにげに同性愛要素があったっけか。
土方歳三と仲間達
時代劇大好き・新選組大好き・幕末大好きな日本人が避けて通れないのが土方歳三とその仲間達。
史実において土方歳三は五稜郭で戦死した事になっているけれど『ゴールデンカムイ』では戦死せずに生き残っていた…ってことになっている。「おじいちゃん」と呼ばれても不思議じゃない設定にもかかわらず「イケメンジジイ」として描かれている。
「土方歳三が生きていたら…」って妄想は新選組好きなら誰でも1度は通る道だと思うのだけど、そんなファンの欲望を叶えてしまったキャラ設定になっている。
『ゴールデンカムイ』における土方歳三は新選組ファンにとって「歳さん…生きていてくれてありがとう…」そんな気持ちにさせてくるような格好良さで土方歳三を囲むキャラクター達もそれぞれ超絶カッコイイ。控えめに言って好き。
性的嗜好を含むタブーへの挑戦(?)
これは漫画やアニメに限ったことではないけど、昨今の表現界隈には「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)」の考え方が重要とされていて、何かと面倒なことが多い。
ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。
ウィキペディアより引用
ポリコレ的視点で言うと『ゴールデンカムイ』は「最近のアニメは萌えとか意識しまくっていて女の子を性的対象に見る傾向が強いけど、杉本は年下の少女を『アシリパさん』と、さん付けで読んでいて好印象です」みたいな意見が多いのだけど、私自身は『ゴールデンカムイ』ってポリコレどころか性的タブーに対して果敢にチャレンジしている作品だと思っている。
特にマタギの谷垣源次郎は何かとエロティックに描かれていて、完全に性的対象だったと思う。
ポリコレ観点で考えるなら「女性を性的な目で見るのはNG」ってことなら「男性だってむやみやたらに性的な目で見るのはアウトなのでは?」って話。
いくつか『ゴールデンカムイ』の中でタブーに突っ込んだと思われるキャラクターをご紹介したい。
江渡貝弥作
私が特に「コイツ…アカン…」と思ったのは江渡貝弥作。作中では鶴見中尉から愛情たっぷりな様子で「江渡貝く~ん」と呼ばれている。
江渡貝弥作は奈良県出身で、剥製作りに適した環境を求めて夕張に移住した青年。
高い技術を持っているものの、彼の作る作品が他人から褒められたことは1度もない。
江渡貝弥作は母親から歪んだ愛情を受けて育ち、唯一の理解者だった父を母が殺し、その父に似てきたとして母親の手によって去勢されている。
母の死後も歪んだ愛情が人格の一部を占め、母の剥製を作成し生きているという妄想の中で生きてきたところを鶴見中尉によって解放される。
動物の剥製制作の他、炭鉱事故で土葬された遺体を使った人肉剥製や人体部位を素材にした被服やガジェットを多数製作している。
……人体から剥製作るとかアカンが過ぎる。
ただ世の中には死体愛好とか屍姦マニア…なんて嗜好の人もいる訳で、江渡貝弥作の言い分も分からなくはい。
名作映画『パフューム ある人殺しの物語』では殺害した死体から香水を作る調香師が登場しているし『羊たちの沈黙』のレクター博士は人間を食べちゃってた。
文学や歴史の中でもこの類のタブーは大きなテーマになっている。
芥川賞作家である河野多恵子の『半所有者』はズバリ屍姦がテーマになっているし、人類は長年密かにこのタブーな世界を好んでいたのだ。
『ゴールデンカムイ』の読者達の多くは「江渡貝く~ん」が出てくると笑っちゃってると思うのだけど、普通に考えて江渡貝弥作のキャラクターは倫理的にかなりアウト。
姉畑支遁
姉畑支遁は自称動物学者。北海道の自然や動植物をこよなく愛している…と言う設定だけど、実は獣姦愛好者。獣姦した動物は殺している。
アイヌの少女、アシリパ的には「子孫を残さないウコチャヌプコロ(sex)」って何の意味があるの?」って話だけど、世の中にはそう言った嗜好の人もいるし、聖書にも獣姦について書かれているくらいなので、太古から「それはあった」と断言出来る。
あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。
レビ記第18章23節
獣姦なんて、今の道徳的な観点から考えると完全にアウト。ありか無しかで言うと「無し」としか言えない。
牛山辰馬(ちんぽ先生)
牛山辰馬(ちんぽ先生)は入れ墨の囚人の一人。
額のはんぺんを貼り付けたような四角い五寸釘も通さない硬さのタコと柔道耳が特徴の背広の巨漢で10年間無敗の柔道家として最強の座に君臨し、「不敗の牛山」の異名を持つ。
常人離れした怪力と強靭な肉体を持ち、死人が出るほど過酷と言われた網走監獄の刑務作業に対しても稽古をしないと退屈するほどの人間で普段は温厚で紳士的で仲間想い。
しかし定期的に性交しないと理性を失い、人の姿をしている者なら見境無く力に任せて犯そうとする獣のような性欲の持ち主…って設定。
ちんぽ先生は女好き…とは言うものの、普段は分別をわきまえていて女性に対しては紳士的な態度を取っている。相手のいる女性にまで手を出すことはなく、見境を無くすのは性欲を抑えられなくなった状況に限られる。
ちんぽ先生は『ゴールデンカムイ』の中でも人気の高いキャラで、私も大好きだけど「良いか悪いか」と言われると正直微妙ではある。
『ゴールデンカムイ』の作中で、切り裂きジャックをイメージしたエピソードがあり、その中で売春婦が殺害されるのだけど、ちんぽ先生は売春婦のことを「私にとっては観音様だ」と言う。
……カッコイイ。マジでカッコイイ。ちんぽ先生、最高!
だけど、コレってあくまでも男性視点での話なんだよなぁ。
売春婦を観音様だのなんだの言うけれど「多くの売春婦達は好きでそうなった訳じゃないんだぞ?」って話。
もちろん「売春婦が私の天職です」と言う人だって存在しただろうな…ってことは否定しないけれど、突き詰めて考えてみるとちんぽ先生も微妙な立ち位置ではある。
マイケル・オストログ
マイケル・オストログは刺青囚人の1人で作中初の外国人死刑囚。
貿易船で密入国し、横浜で娼婦を多数殺害したため網走監獄送りに。その後、のっぺらぼう(アシリパの父)に刺青を刻まれる。
脱獄後は札幌で娼婦ばかりを狙う連続殺人を起こすのだが、それはイギリスで起こった切り裂きジャックの事件と酷似していて、実際切り裂きジャック本人だった…って設定。
マイケル・オストログのエピソードは『ゴールデンカムイ』の終盤に登場するのだけど、正直言って「いまココでこのエピソードは必要なの?」って違和感を覚えた。
しかも札幌の街をロンドンに見立てて切り裂きジャックの事件を再現する…とか、金塊争奪戦にはまったく関係ない話。
だけど漫画だろうが小説だろうが「0→1」で世界を生み出す創作の世界では何と言っても作者が神。
神がそれを書きたいのだから仕方ないよね…って話。
ちなみに。マイケル・オストログは杉本の手によってかなり残忍な形で殺害されている。もはや公開リンチの粋で残虐描写が苦手な人にはオススメできない。
札幌の切り裂きジャックエピソードについては全編を通してかなりグロいのでお子様が読む場合は注意して戴きたい。
物語の本質はどこなのか?
『ゴールデンカムイ』はラーメンにおける「全部乗せ」くらいの勢いで様々な要素が詰め込まれている。
- 金塊の謎。
- 北海道の自然は凄いしマジでヒンナヒンナ。
- アイヌの人達の豊かな生活。
- 軍人達の熱過ぎる絆。
- 土方歳三カッコイイ&生きてて良かった。
- ロシア革命と北海道。
- 性的タブーへの果敢なチャレンジ。
- 強い男はサイコーだぜ。
……多くの人は『ゴールデンカムイ』を初めて読む時に「なるほど…金塊の争奪戦って訳ですね」と思うだろうけど、実のところ金塊争奪戦の要素よりも各エピソードや場面ごとのインパクトの方が強い。
実際、Twitterをはじめ、WEB界隈を見渡してみても「金塊の謎を暴く」とか「刺青人皮を解読する」みたいな考察は少なくて、最初に紹介した「ヒンナヒンナ」だの「バーニャ」だの「スチェンカ」だの「ラッコ鍋」と言ったエピソードごとの盛り上がりの方が凄い。
実のところ、みなさんどはれくらい『ゴールデンカムイ』を理解して読んでいたのですか?
……と言う疑問が込み上げてくると同時に私は思ってしまったのだ。
『ゴールデンカムイ』って野田サトルが「俺の面白い物と好きな物」を自由全部乗せした…ってだけの作品なのかな…って。
そうだとすれば「ヒンナヒンナ」が過ぎるのも、性的に攻め過ぎた描写も、新選組もロシア革命も全部乗せしちゃったのも納得できる。
ゴールデンカムイは神作品と言っても良いのか?
『ゴールデンカムイ』は大ヒット作品ではあるけれど、倫理的に見るとアウトだと思っている。
これは私の個人的な意見だけど『ゴールデンカムイ』の駄目っぷりと『メイドインアビス』の駄目っぷりは同列で名作だのなんだの言っているけど駄目な物は駄目だし手放しで絶賛するのには違和感がある。
……だけど人間はタブーに対する好奇心や憧れを抑えられない生き物なのだ。『メイドインアビス』で何度も繰り返されている「憧れは止められない」って台詞はホントそれ。
『メイドインアビス』の映画がR15指定になったように『ゴールデンカムイ』もタブーを理解した大人のための読み物だと思っている。
これは日本に限ったことではないけれど世界はエロや暴力、タブーに対する規制が厳しくなっている。そんな中に堂々とエロや暴力を山盛りに突っ込んできた『ゴールデンカムイ』は人々の目に新鮮に映ったのだと思う。
そして確実に言えるのは自分の好きな要素を全部乗せした上に綺麗まとめて作品を完結させた野田サトルは凄い…ってこと。
ちなみに。私は『ゴールデンカムイ』が大好きだ。
こんなに長々と感想を書きまくってしまうくらいには情熱を持って『ゴールデンカムイ』と向き合ったし、真面目に読んで考えて「凄い作品だな…」と改めて思った。
一歩間違えれば大炎上不可避…ってネタをよくぞ、ここまで突っ込んだものだ。そのあたりのバランス感覚は野田サトル1人でなし得たものではなくて、編集さんも優秀だったのではないかと推察する。
ありがとう『ゴールデンカムイ』。ありがとう、野田サトル先生。
2022年の黄金週間は『ゴールデンカムイ』をイッキ読みしたおかげで充実していた。
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