最近読んだ本の中で「壮絶な人生を生きてきたけど家族以外の大人の助け(助言)により救われた」みたいなエピソードが心に刺さった。そして「私も若い人にとって良き大人になりたいな…と思ったりしている。
1つはノンフィクション作品の『母という呪縛 娘という牢獄』に登場する女性のエピソード。教育虐待を受け続けた末、母親を殺してしまった女性は裁判で「真実は言わない」と思っていたけれど、一審の判決を聞いて「私を理解してくれる人がいた」と、真実を語る決意をしたくだり。
もう1つは小説だけど『八月の母』。不幸の連鎖とも言える家庭環境の中で壮絶な暮らしをしてきたヒロインは赤の他人の助けによって、自ら道を切り開いて、どうにかこうにか「普通の家庭」築いたくだり。
どちらのエピソードも「家族ではない大人からの助け」を得て、若い人が良き方向に進んでいる。私自身、家族ではない大人からの言葉に救われている。私を励ましてくれた2人の言葉はいまだに忘れることができない。
1人は子どもの頃、家に来てくれたいたクリーニング店の店主だった。当時、実家は豊かな暮らしをしていてクリーニングは家に取りに来てくれて、仕上がって物を配達してくれるお店にお願いしていた。そのお店はクリーニング屋さんと言っても手広く商売をしている人で、地主さんでもあった。父の会社が倒産した時まだ小学生だった私にクリーニング店の店主は言った。
この言葉は大人になってから理解出来るようになった。
パッと見では仲良さそうな家庭が崩壊寸前だったり、裕福そうな家庭がそうじゃなかったり。身内に大変なことがあったり。その言葉を聞いた時は「ふ~ん。そんなものか」としか思わなかったけれど、成長する共にありがたい励ましだったのだと感じるようになった。
もう1人は母の友人だった。
母の友人の言葉は本当にありがたかった。周囲の大人達が「あなたは一生苦労するね」とか「お父さんやお母さんを支えてあげてね」みたいなことばかり言う中で「あなたは帰る実家がない」と言うカウンターパンチからの「だから新しい家族を作ったら上手くいく」と言う説は妙に説得力があった。そして実際、私は結婚して幸せに暮らしている。
子どもは自分の親以外の大人から言われた言葉って案外しっかり覚えているものだ。
だからこそ大人は血の繋がらない子どもに対して呪いの言葉を押し付けるのではなくて良き導きとなる言葉をかけなきゃいけない。
年を重ねるにつけ自分より年下の人と話をすることが多い。子どもに対してもそうだけど、10歳下、20歳下の人と接する時は良き導き手となれるようにしたい。間違っても呪の言葉なんか吐いちゃだめ。
せっかく年を取るのであれば良き大人になりたいものだなぁ~と思う。
これは偽善的な気持ちから…と言うよりも私自身、良き大人の助けを得て大人なった自覚があるから。死ぬまでに少しでもお返しできたらいいな…と思う。
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