『貝に続く場所にて』は第165回芥川賞受賞作。作者にとって、この作品は驚くことに第64回群像新人文学賞受賞でデビュー作でもある。
ちなみに第165回芥川賞受賞作は珍しく2作品が受賞していして、どちらも女性作者。もう1作は李琴峰の『彼岸花が咲く島』。
「2作品も受賞するなんて、今回の芥川賞はどんだけレベル高いの?」とワクワクして手にとったのだけど、レベルが高過ぎて理解出来なかったようで、『彼岸花が咲く島』にしても『貝に続く場所にて』も私の好みではなかった。
貝に続く場所にて
- 仙台市出身の「私」は日本を離れドイツの学術都市、ゲッティンゲンで生活していた。
- 私はは9年前に東日本大震災を経験していて、多くの友人知人を失っている。
- ある日「私」はゲッティンゲンの駅で9年前の震災で行方不明になったはずの「野宮」と出会うのだが…
感想
『貝に続く場所にて』は要するに震災小説だった。ただ他の震災小説とは一線を画していて「THE純文学」って感じの仕上がりになっている。
とりあえず読み難い。何しろ現実と非現実が行ったり来たりするので、読んでいる途中で「えっ? これって、どういう意味?」と訳が分からなくなってくる。
ネタバレ…と言うほどでもなく、ストレートにそう書かれているので書かせてもらうと主人公の私がゲッティンゲンの駅で出会った野宮は9年前に行方不明になった…のではなく、9年前に死んでいる。
そして野村の情報を電話で教えてくれた「寺田」と言う男もすでにこの世にいない人。
……このノリは好きな人には刺さるだろうけど、人によってはちょっとキツイ。私は幽霊とか霊魂ネタは好きじゃない(怖い訳ではない)ので、正直美味だった。
「私」の中にある震災と「私」が現在生きているドイツの生活が入り混じって、なんとも不思議な世界観に仕上がっていた。
私は震災を経験していないので「私」の気持ちに寄り添うことができなかったけれど、この点については人によって感じ方が違ってくると思う。
今回は芥川賞の受賞作を2作続けて読んだ訳だけど『彼岸花が咲く島』と『貝に続く場所にて』は究極的に言うと、今の時代を色濃く反映した私小説的な作品なのだと思う。
『彼岸花が咲く島』は完全な創作物で、本来の意味での私小説ではないものの、作者の思想をギッシリ詰め込んだ作品になっていて、ある意味作者の分身的な存在だと感じたし、『貝に続く場所にて』も作者が震災と向き合うために書いた作品なのかな…と。
私小説って好き嫌いが出やすくて、好みに合わないととてもじゃないけど読んでいられない。残念ながらどちらも私の好みではなかった。だけど、どちらも力作には間違いないので興味のある方は手にとって戴きたいな…とは思った。