ここのところ、どうしようもなく落ち込んでいるので久しぶりに『続 泥流地帯』を手にとってみた。
続 泥流地帯は、もう何度も読み返しているのに、何か物事に行き詰ると読みたくなる愛読書で『泥流地帯』の続編になる作品。
『泥流地帯』と「続泥流地帯』は一応別々の本として出版されているけれど、1冊ずつでも楽しめる物ではなく、むしろ「上下巻」として読んだ方が良いと思う。
続泥流地帯
- 『泥流地帯』の続編。
- 主人公の耕作、拓一兄弟は十勝岳の爆発による泥流で田畠と家族を失う。
- 泥まみれの土地を「もう一度稲の実る美田にしたい」と奮闘する兄弟の生き方を描いた長編小説。
感想
私が初めて『続泥流地帯』に触れたのは学生時代だった。
主人公、耕作視点で「どうし世の中は善因善果ではないのか?」という問題について考え、心酔したのだけれど、今の年齢ではじめてこの作品に触れたらば、こんなに好きになれたかどうかは激しく疑問が残る。
『続泥流地帯は』力作には違いないが、テーマの割に詰めが甘い。
ネタバレになって恐縮だけどが旧約聖書のヨブ記を主題にしているにもかかわらず、ラストを甘ったるくハッピーエンドにしているあたりは「2冊にも渡って主張してきたことは何?」と突っ込まずにはいられない。
もっとも、あのラストが本当の意味でハッピーかどうかは、微妙なところだけれど。
今回は再読してみて、自分の視点が変わっていることに気がついた。
以前は主人公の視点で読んでいたのに、今は主人公の周囲にいる人々の視点で読んでいる。
不幸な出来事を受け止めて、淡々と消化しようとしていく人々を学生時代の私は敬意をもって見つめていたのだけれど、今となっては彼らの「受け流し術・受け止め術」は共感する部分が多い。
そして、この作品の第二のテーマともいえる「真面目に生きる」ということについても少し思うことが出来た。
真面目に生きるのは恐ろしく困難な事かと思っていたが、もしかすると人によっては「楽チンな生き方」であるのかも知れない……と。
迷うことなく、ぶっちぎりで一筋の道を追いかけてくというのも、1つの手段のような気がするのだ。
物語の主題とは何の関係もない話だが、何度読んでも「豆腐屋食堂の豆腐入り粕汁」はとても美味しそうだ。
三浦綾子の描く「素朴な味」というのは、どの作品でも素晴らしく光っている。
三浦綾子の作品をほぼコンプリートしている身としては、いつか「三浦綾子小説における上手そうな食べ物」を書き出してみようか……なんてことを、ふと思った。