『むらさきのスカートの女』は第161回芥川賞の候補に上がっている。
今村夏子は以前も155回芥川賞で『あひる』が候補に上がっているが、惜しくも受賞には至らなかった。今回は2度めのチャレンジと言うことになる。
私が今村夏子の作品を読むのは『あひる』『星の子』に続いて『むらさきのスカートの女』が3作目。
個人的には『あひる』の時に取って欲しかったな…と思うのだけど155回芥川賞は村田沙耶香の『コンビニ人間』が受賞している。
むらさきのスカートの女
- 語り手は近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない「わたし」
- わたしの一人語りで物語を進めていく方式。観察日記のようなストーカー気分が味わえる。
- むらさきのスカートの女は、どの街にでもいる「地元の名物的な有名人」的な位置付け。
- むらさきのスカートの女は独身でアパートに住んでいる。不定期に働いているようだが、生活は謎に包まれている。
- 「わたし」はむらさきのスカートの女は彼女と「ともだち」になりたくて自分が働いている職場にむらさきのスカートの女を誘導する。
感想
今村夏子の作品は素朴で優しい文章ながら、どこか不気味な感じがするのが特徴だ。
例えば『あひる』の場合、飼っていたあひるの具合が悪くなって病院に連れて行かれるのだけど、戻ってきたあひるは明らかに前のあひるとは違っているのだ。それも1度きりではなく何度も何度も。
『むらさきのスカートの女』の場合、一人の視点、一人語りで進んでいくのだけれど「そもそも、それってストーカーでは?」って疑問が生じてしまう。
読者はストーカー視点で作品を追いかけていくスタイル。
そして、さらに言うなら「むらさきのスカートの女」と言う都市伝説的と言うか、街の有名人的な特殊性だ。
その街でしか通じない…例えば「○○おじさん」とか「○○ばあさん」って密かに呼ばれているような、そんな人。
その類の「街の有名人」って不気味さがあり、それと同時にちょっと侮蔑と言うか馬鹿にした響きがあったのではないだろうか。
実際、むらさきのスカートの女に対して子ども達は度胸試し的な遊びを仕掛けている。
- ストーカー的な物語の進め方
- 「むらさきのスカートの女」と言う特殊性
この2つが作品に何とも言えない嫌な雰囲気を与えている。
そして肝心のあらすじなのだけど、あまり書いてしまうとネタバレになるので出来るだけ伏せておきたい。
当たり前の話だけど「むらさきのスカートの女」は普通の人間だ。ちょっと風変わりではあるものの「まあ…こんな人いるよね」くらいのものでしかない。
むしろ語り手の「わたし」の方が狂っているのではないかとさえ思う。
話がどんどん進んでいくのでサクサク読めるし、それなりに面白い。ただし読後感は良くない。
不条理もの…と言うのかな。好きな人は好きだし、苦手な人もいると思う。
ただ『むらさきのスカートの女』が芥川賞に相当するか?
……と言われたら、少し躊躇ってしまう。
不条理で不気味な世界を書く作家さんと言うと、最近の作家さんだと吉村萬壱とか村田沙耶香を思い浮かべるのだけど、彼らの作品と較べると圧倒的にパワー不足な気がする。
そして正直、村田沙耶香の世界観と若干かぶってくるのも気になるところ。
芥川賞っぽい作品だな…とは思うし面白いと言えば面白かった。
ただ、どこか物足りないよう気がしたのは残念に思う。どうせなら『あひる』で芥川賞を取らせてあげたかったな…と思ってしまった。