良い意味において、期待を裏切られてしまった。
はじめて手にとった片山恭一の作品は「なんだか知らないけど薄っぺらくて屁理屈満載」という印象だったので、この作品も、きっとそうに違いないと思っていた、
なかなかどうして。
主人公の少年が屁理屈屋で、可愛げのないところは同じだったが、小説の王道を行く真面目な作品だった。
世界の中心で、愛をさけぶ
「ぼくにとってアキのいない世界はまったくの未知で、そんなものが存在するのかどうかさえわからないんだ」「大丈夫よ。わたしがいなくなっても世界はありつづけるわ」
朔太郎とアキが出会ったのは、中学2年生の時。落ち葉の匂いのファーストキス、無人島でのふたりきりの一夜、そしてアキの発病、入院。
日に日に弱っていくアキをただ見守るしかない朔太郎は、彼女の17歳の誕生日に、アキが修学旅行で行けなかったオーストラリアへ一緒に行こうと決意するが―。
アマゾンより引用
感想
「恋愛をからめた成長小説」であり「若者が考える、生と死」ってありたがコンセプトだったのだろうか。とにかく恋愛ものである。
しかも彼女は不治の病で死んでしまうという、こっ恥ずかしいネタまで用意して、挑んでいるあたりは、片山恭一が馬鹿なのか、よほど自信があったのか……たぶん後者だと思う。
ノリとしては『ノルウェイの森』に似ていなくもないかな。という印象。
「主人公は屁理屈屋で可愛げがない」と書いたけれど『満月の夜、モビィ・ディックが』の主人公に較べれば、ずっと好感が持てた。
屁理屈には違いないが「あぁ。そういう年頃の時って、そういうこと考えてみたりするよね」と共感のできる程度の屁理屈で、可愛げのない割りには好感が持てた。
そして何よりも主人公の点数が上がった理由は「一途に彼女が大好き」という部分だったろうと思う。一途な人間ってのは、ただそれだけで素敵に見えるから不思議だ。
途中でアボリジニの思想などが、ちらりと書かれているのだが、あれは必要なかったように思う。
物語の幅を持たせるために、そしてオーストラリアという土地を登場させるために入れたエピソードだが、それが薄っぺらくしか活用されていないあたりが、ちょっぴり残念だった。
もっと素直に「恋愛観」とか「生死観」を展開した方が面白かったように思うのだ。片山恭一の作品を読むのは、これで2冊目だが、凝り過ぎて、触りすぎて失敗しているような気がする。
「若者向け」の小説だと思うのだけれど、浪花節的な胡散臭さも感じさせるあたりが味噌かも知れない。浅田次郎を若くして屁理屈屋にさせたら、こんな感じかも知れないなぁ……みたいな。
なんだかんだ文句ばかり書いてみたけれど、けっこう面白かった。だが「大絶賛」には至らないのだ。
あと、もう一押しあればいいのになぁ。その「一押し」が、愛の境目なんだと思う。
それなりに面白かったが、愛するまでには至らない1冊なのだ。
物足りないながらも、片山恭一の作品は、これからも追っかけていってもいいかなぁ……なとど思ったりした。