クリスマスが近づいてくると、ふと読みたくなる1冊。
クリスマスってのは西洋の行事なので、西洋の話を読みたくなるのは自然な成り行きなのかも知れない。この作品以外だO・ヘンリの短編集なんかも「クリスマス向き」な気がする。
児童書とか戯曲で有名(?)な『森は生きている』なんかも、この時期の読み物というイメージ。
幸福な王子
- オスカーワイルドが格調高い文章で綴った綴った9編を収めた童話集。
- 広場に立てられた王子の像が、宝石でできた自分の目や体じゅうの金箔を、燕に頼んで貧しい人々に分け与えてしまう『幸福な王子』
- 若い学生が恋人にささげる赤いばらを、一羽のナイチンゲールが死をもって与えてやる『ナイチンゲールとばらの花』など。
感想
何作か収録されている作品のうち『わがままな大男』『ナイチンゲールとばらの花』『幸福な王子』の3作品は、身もだえするほど大好きだ。
こういう残酷で美しい童話を書く作家さんって憧れてしまう。アンデルセン、宮沢賢治、小川未明あたりも私の中では同系列だ。
作者の童話は、それぞれ独立しているようでいて、パラレルワールドのように登場人物が繋がっているように思う。
『わがかままな大男』の大男は『幸福な王子』の王子に似ているし、『ナイチンゲールとばらの花』のナイチンゲールは『幸福な王子』のツバメに似ている。
シュチュエーションは違えど、物語の核になった部分は同じなのだと思う。
『わがままな大男』と『幸福な王子』には残酷な中にも救いがあるのに対して『ナイチンゲールとばら』は最後まで救いがないというところが興味深い。
前の2つは「愛」がメインになっているのに対して『ナイチンゲールとばらの花』は「恋」がテーマになっているところが大きな違いなのだろう。
オスカー・ワイルドの人生を重ねつつ読むと、面白さが倍増するような気がする。とにかく、奥深い。
現実世界を生きるという意味において言うならば、こういうタイプの物語とは無縁でありたいし、そういう機知なんて分からない方がいいように思う。
わざわざ痛い話を読むことはないのだ。なのに、何故だか惹かれてしまうのは、どういう訳なのだろう?
大人になって、感情が成熟してきてから惹かれるのならまだしも、4~5歳の頃から、この類の物語を別格で好きだったことを思うと、本質に食い込んでくる「何か」があるのだと思わざるをえない。
この短編集を読むと、心が冷え冷えするのに、それでも読みたくなってしまう。
そう言えば学生時代『わがままな大男』をモチーフにして絵を描いたことを、ふと思い出した。あのスケッチブックは捨てていないはずだが……
絵に描いてしまうくらいだから、私にとっては特別な作品。寒い時期に、寒々と読み返してみたいと思う。