ここ数日、娘が寝る前にジョージ・マクドナルドの『ふんわり王女』を読んでいる。
読み聞かせするには長い作品なので1章~2章ずつしか進まないけれど、娘は毎晩『ふんわり王女』の続きを聞くのを楽しみにしてくれているようだ。
『ふんわり王女』は私が少女時代に大好きだった特別な1冊。児童書や絵本を大量処分した後も捨てる事が出来ずに、今でも手元に置いている。
『ふんわり王女』ジョージ・マクドナルド
- 中世ヨーロッパ的ファンタジー設定。
- ヒロインの王女は誕生日に呪いをかけられて「身体の重さ」を失う。
- 王女は見た目は美しいけれど超絶ワガママ。
- わがままな王女が王子と出会い物語が進んでいく。
- 王子は王女に恋しているが、果たして王女の心は……
『ふんわり王女』の出版元の太平出版は既に倒産していて、ジョージ・マクドナルドの童話集は今では手に入れる事が出来ない。
「よくぞ捨てずに置いていたなぁ」と感慨深いものがある。
性格の悪い王女の物語
私はジョージ・マクドナルドの童話が大好きで、その中でもこの『ふんわり王女』は絵を描いたり、切り絵を作ったりするくらい好きだった。
『ふんわり王子』は誕生祝いに招かれなかった魔女から魔法をかけられて「重さ」を失った王女と、花嫁を探しの旅に出た王子が出会う恋物語。
この作品の面白さは王女の性格と頭の悪さにあると思う。
世界にお姫様物語はたくさんあるけれど、ここまで性格が悪くて頭が悪くて無慈悲なお姫様はいなかったと思う。
アンデルセンの『豚飼い王子』やグリムの『かえるの王さま』なども性格の悪い王女が出てくるけれど、ふんわり王女は悪どさは彼女達の比ではない。
身体が軽く頭も軽い
ふんわり王女は身体が軽くいだけでなく、頭も軽い。
……と言うのも、ふんわり王女は「重さ」を奪われただけでなく「真面目さ」「優しさ」「知性」と言った人としての善性も奪われていたのだ。
「身体軽い=頭も軽い」と言う解釈だと思う。
人が真面目に話している時に、1人で大笑いする王女は大人になってから読むと不愉快極まりない。
しかし子どもの頃は特別不愉快だとは思わなかったように思う。
どうやら娘もこの点については気にならないらしい。時折「いくらなんでも、それは酷いね」と感想を挟む事があるけれど。
恋は人を変える
しかし、人間的に最悪な王女と王子が恋に落ちる過程は最高だ。
王女は水の中では身体の重さと真面目さを取り戻し、ある程度普通の女の子として過ごす事が出来る。
そして王女と王子は湖で出会う。
王女が湖では普通の女の子として過ごせると言っても「ある程度」レベルでしかない。
読み方によっては「結局、男は女を顔や姿形で選ぶんでしょ?」と思いそうなものなのだけど、美しい湖で出会う美男美女…と言う非常にロマンチックな設定なので「まぁ、そりゃ恋に落ちて当然だよね」と納得させられる。
『天空の城ラピュタ』でパズーが空から降ってきた女の子に恋したように、聡明な王子は空に浮かぶ王女と恋に落ちるのだ。
「恋はするものではなく、落ちるもの」と言う言葉が実にしっくりくる。
その後、王女が身体の重さを取り戻すにいたるエピソードが入るのだけど、そこはもう素晴らし過ぎて、とても語り尽くす事は出来ない。
王子の献身と愛
王女と王子のやりとりはたまらぬものがある。
人を愛する事を知らない王女と自分の身を捧げて王女に愛と誠を尽くす王子の姿は子ども心にドキドキしたものだ。
王子の献身は谷崎潤一郎『春琴抄』にも通じるところがあると思う。
結局のところ、王女は「人を愛する気持ち」を知った事により、魔法が解けて身体の重さを取り戻し、聡明な女性に生まれ変わる。
「メデタシメデタシ」のハッピーエンドのお姫様物語で終わる。
この作品の素晴らしさは「王女が人として最悪である」と言う事と「ロマンチック過ぎるシチュエーション」そして「王子の献身」の3点だと思う。
この物語ほど王女に献身する王子は他のお姫様物語には見当たらない。
「ありきたりなお姫様物語」では物足りない人達に全力で薦めたい作品なだけに絶版である事が悔やまれる。
久しぶりに最初から通して読んだけれど、大人になった今でもやはり好きな気持ちは変わらない1冊。
『ふんわり王女』は残念ながら絶版中です。中古で手に入れるしかありませんが、かなり高価です。岩波少年文庫版の『かるいお姫さま』の方が安く手に入るかも知れません。
しかし残念なことに、こちらも絶版中ですが、岩波少年文庫版は太平出版版に較べると断然、お安く入手可能です。
どうしても読みたい場合は図書館で探す方が手っ取り早い気がします。