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書評ブログってなんぞや?みなさん本の内容を理解出来てるの?

私は本が大好きで毎日飽きもせず本を読んでいる。

インターネットで遊ぶようになって、一般の読者が自分の自分の読んだ本の感想をインターネット上で発表しているのを知って「私もやってみよう!」と思い立った訳だけど、私の書く物は書評ではなく本の感想だと思っている。

世の中には「書評ブログ」と言う言葉があり「書評」でググってみると「書評の書き方」とか「良い書評とは」みたいなサイトがワンサカ出てくるのだけど「その道の研究者やプロの物書きが書くならともかく一般人が読んだ本について書く文章は書評ではなくて、一個人の感想だと思っている。

書評ブロガーと名乗る人達と付き合った事がないので、質問する機会がないのだけれど「ところで、内容ちゃんと理解して書いてるの?」と不思議に思う。

ミステリーの書評はまだ分かる。トリックがどうとか、このトリックは実現不可能だとかそういうところなら素人でもできそうな気がするけれど、純文学の書評って本当に理解して書いてるんだうか?

私は純文学を読んでも全く理解出来ていません!

作品を最後まで読んでも「なんか、よく分からなかったけど凄かったな」とか「掴みどころのない作品だったな」って思う事が多々ある。

純文学と言っても自分との相性があって、例えば遠藤周作の作品は堅くても比較的すんなり頭に入っていくる。だけど大江健三郎は駄目だ。まったく理解出来ないし、よく分からない。ただ「凄い」って事だけは理解出来る。

比較的最近の作家さんだと、数年前に亡くなった河野多惠子の作品は大好きだけど、作品によっては掴みどころがなくて理解できないし、最近の作家さんだ吉村萬壱なんかは気持ち悪くて漂う不快感が最高にクレイジーだと思っているけれど「作者の意図を答えよ」とか言われたとしたら「さぁ…何なんでしょうねぇ」としか答えられない。

素人が背伸びして「書評を書きました(キリッ)」とドヤるのって滑稽に思う。

読んだ本を全て理解するのは無理だし理解する必要もない。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ではないけれど、毎日浴びるほど読んでいれば、ごくまれに自分のツボに大ヒットする事がある。

私はその瞬間が好きだし、その瞬間に感じる脳が痺れるような感覚を味わいたくて、毎日飽きもせず読み続けているのだ思う。

そんな訳で、私が書く本のあれこれは書評じゃないんです。一個人の感想なんです。タグに「書評」って入れちゃってますけど検索用に入れてるだけなんです。どうか、そこんとこヨロシク!

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本の話
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白い木蓮の花の下で
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