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幸せを掴む手

ある小説の中に「幸せを掴む手」と言うエピソードが登場する。

登場人物1人が過酷な境遇にあるヒロインの事を「あの子は幸せを掴む手を持っているから大丈夫」と語る。その小説を読んだのは高校生の頃だったと思うのだけど「幸せを掴む手」と言う考え方はなんだかストンと腑に落ちた。

残念ながら世の中には幸せを掴む手を持たない人がいる。

先日、用事があってママ友にメールしたのだけれど返信が無いので「返信無いので、またの機会にしましょう」と再度メールを送ったところ速攻で電話がかかってきた。「実は体調を崩していて…」とのこと。

話を聞くと体調を崩していると言うのに病院へは行ってないと思う。1週間ほど落ち込んでいて食事の支度もほとんど出来ていないとのこと。「とりあえず病院に行っておいでよ」と言ったのだけど「でも」と「だって」と渋ってばかり。それでも話をしているうちに、その気になったらしく病院へ行ったそうなのだけど、大した事ではなかったらしく気休め程度に薬をもらって帰宅したとのこと。

ママ友とは数年来の付き合いだけど、このパターンは今にはじまった事ではない。次の三連休も鬱々と家に引篭っている事が予想されたため「三連休のどこかで、子ども預かろうか? 3日間も子どもを家に閉じ込めておくのは可哀想だよ。連れてくるのしんどかったら送迎してあげるよ」と声をかけた。

ママ友の子はお泊まり会の時に「朝からゼリー1個とお茶漬けしか食べてない」と言って 、私の気持ちを微妙にさせた子だったりする。

ママ友は私の実母によく似ている。1年中体調を崩していて何かにつけて努力しないところも、家事を放棄しちゃうところも同じ。

「家に引き籠もってテレビばっか観てても駄目だよ」「ご飯ちゃんと食べないと」とアドバイスしても生活を改善する気は全くなく、傍から見ていると「そんな生活をしていたら健康な人でも病気になるわ」としか思えないのだ。

ママ友も実母も「幸せを掴む手」を持っていない人なのだと思う。

幸せの形は人それぞれに違っている。「お金があるのが幸せ」と考える人もいれば「頭が良くて出世する事こそが幸せ」と考える人もいる。それぞれ自分が理想とする幸せ求めていけばよいと思うし、自分の幸せと人の幸せが一致するとは限らない。

ママ友や実母が彼女達なりに幸せだと感じているのなら「そんな幸せもあるよね」と理解出来るのだけど、不幸せアピールをしてくるから厄介だ。私の感覚からすると「だったら幸せになるための努力をしよ」と思うのだけど、彼女達はそれでも不幸へ突っ込んでいくのだ。

その人の人生はその人のもの。他人がとやかく言う筋合いは無いのだけれど、なんだかモヤモヤしてしまう。

彼女達はどうして幸せを掴む手を持っていないのだろうなぁ?

「生まれながらにそういう性質なのだ」と言ってしまえばそれまでだけど、こう言うことがあるたびに毎度モヤモヤしてしまう。余計なお世話だし他人には言えないので日記に書いてみた次第。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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