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楽園 ラック・ヴィエン 岩井志麻子 角川ホラー文庫

気分転換になるような、小気味のいいホラーが読みたいと思って手に取ったのだが、とんだ本を掴まされてしまったと軽く憤りを感じてしまった。「官能ホラー」と銘打ってあったが、官能ホラーというよりも、むしろ官能小説……嫌な言い方をするなら「エロ小説」だった。私は、その類の小説が嫌いという訳ではないのだが「ホラー文庫」なのだから「怖さ」を期待してしまうじゃないか。作者とか、作品に対しての憤りではなくて、出版社の姿勢に憤ったんである。まったく、あざとい商売をするよなぁ。『ぼっけぇ、きょうてえ』を読んで、面白かったからとて、うっかり買ってしまった読者は多かったんじゃなかろうか。私は図書館で借りたのだが、自腹で買っていたら、きっとムカついていたと思う。

出版社への憤りはさておき、作品は官能小説ながらも達者な文章という感じだった。とくに書き出しが素晴らしい。「行って帰ってきた人はいないのに、誰もが地獄は極彩色に溢れていることを知っているのは何故だろう。」ときたもんだ。いやはや……まいった。確かに、あちらの世界から戻ってきた人なんていやしないのに、死後の世界観が、確固たるものとして存在しているのって、なんだか不思議だ。国によって、あるいは宗教によって、その世界観は違っているのだろうけれど、それでも「死後の世界観」をまったく持っていない人ってのは世界的にも少ないのではなかろうか。もちろん、その世界観を信じるとか、信じないということになると、まったく別の話なのだが。

物語の舞台は、ベトナムだった。日本人の書くホラーは、民間伝承系の和風ホラーか、もしくは現代不思議系のホラーが多いが、アジアの国が舞台になっているのは珍しいように思う。「怖い」を伝えるというのは読み手の感性に語りかけていくような作業だと思うのだが、アジアを舞台にした分だけ、イメージが沸きにくいところを
日本にある「なにか」になぞらえて、それはそれは丁寧にイメージを膨らまさせてくれたことに「職人の技」を感じてしまった。痒いところに手が届くサービスっぷりだったのだ。

作品の筋とはあまり関係がないのだが、ちょっと気になったことが1つばかり。主人公の女性が官能を求める時に「私はあなたとしたい。したかった。恋したかったのではなく、ただ狂おしくやりたかった」と語るのだが「やる」という言葉は、いったいつ頃から「セックスをする」という意味の動詞として使われるようになったのだろう? 「する」というのも同義語のようだが「する」と「やる」では大いに違う。「したい」だと、ちょっと控えめな感じだが「やりたりい」となると、かなり攻撃的な印象を受ける。これは古くから使われていた言葉なのか、それとも最近の流行なのかは分からないが、ふと疑問に思ったりした。

どうせなら、夏場に……そういうものが読みたい気分の時に読みたかったと思う。こういう出会いをしてしまったのが残念に思った。

楽園 ラック・ヴィエン 岩井志麻子 角川ホラー文庫

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白い木蓮の花の下で
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