少し前の日記に娘がお裁縫にハマっている話を書いたと思うのだけど、今のところ飽きもせずに続けいていて、夕食後はテレビを観ながらお裁縫に励んでいる。
私も物を作る楽しさは知ってるつもりだけれど、娘と私とではベースが違うのだな……つくづく思う。
私が何か作るのは、作ろうとしている物が必要だったり、プレゼントしようと思うから。クリスマスには娘にプレゼントするために『すみっコぐらし』の部屋と家具のセットを作ったけれど、あれも「娘にプレゼントする」という大義名分が無ければ作っていなかったと思う。
私の場合、工作にしても裁縫にしても編み物にしても、いつも目的がハッキリしている。
しかし娘は私と違う。彼女は作るのが楽しいから作るタイプだ。
……と言うのも、娘は作ったぬいぐるみを友達にプレゼントしちゃうのだ。プレゼントするために作ると言っても、娘は私のケースとは事情が違う。
「プレゼントするために作る」のではなくて「編み物が好きな人が可愛いアクリルタワシを編みまくって友達に配る」とか「牛乳パックで作ったペン立てを配る近所のおばあちゃん」とか、そんな感じ。
私はいつも貰う側で、彼女達が作った成果物をありがたく戴いていた。
ハンドクラフトが好きな人って、自分の作った成果物を惜しげも無くプレゼントする傾向にある。たぶん物を作る目的が「成果物」ではなくて「作る過程」だからなのだと思う。
そう言えば。娘はもっと幼い頃から既にハンクラ魂が見え隠れしていた気がする。
幼稚園の頃はアイロンビーズにハマっていて、黙々とアイロンビーズで何か作っては友達や祖母に配りまくっていた記憶がある。言っちゃあなんだが、アイロンビーズで作った物なんて、どうにも使いようがない。
それは娘も理解していた。
「作ってはみたものの、正直いらないなぁ→そうだ。おばあちゃんにプレゼントしよう!」って感じだったのではないかと思う。
娘は自分が飽きるまでフェルトでマスコットを作っては、誰かにプレゼントするのだと思う。
ハンクラ魂を持った娘は、たぶん死ぬまでそうやって「何か作っては人に配る」と言う生活をするのではなかろうか。私にはとても出来ないけれど、ハンクラ魂を持った人達の気持ちは分からなくもない。
子どもの頃に「作ることの楽しさ」を知っておくのは悪くない。
生きていく中で楽しいと思える事は貴重なのだから、娘には今のうちに少しでも沢山「楽しい事」を見つけておいて欲しいな……と思う。
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