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自分で作る自分のためのお弁当。

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先の日記にも書いた通り、この春は私もお弁当を持って仕事に出掛けている。

放課後等デイサービスで働いていた時もお弁当を持って仕事に出掛けていたはずなのだけど、当時はどんなお弁当を食べていたのか全く記憶にない。

今の職場に転職してからは、ほぼ毎日のように調理の人が作ってくれる美味しい給食を食べていた。なので自分のためにお弁当を作るのは物凄く久しぶり。

お弁当は自分の分を作らなくても、ほぼ毎日のように娘と夫のお弁当を作っているので自分の分が増えたとしても、それほど手間は掛からない。ちょっと量を増やすだけでいいのだ。

……とは言うものの、初日は「自分のためにお弁当を綺麗に詰めていくなんて馬鹿らしいな」と思い、大きなおにぎりと小さいタッパに娘と夫のお弁当のおかずをチョイチョイと詰めて持っていった。

もちろん、それでも特に問題はなかった。自分が作っているので味に支障は無いし、大きいおにぎりは食べやすくて時短にも貢献できる。

……だけど喜びと満足度が足りなかった。

夫や娘のお弁当…特に娘のお弁当には毎日、果物まで付けているのだ。それなのに自分はおにぎりと残り物を食べている…となると妙に惨めな気持ちになってしまった。

翌日から「自分のお弁当も娘と同じクオリティで作って持参しよう」と心に決めて、それ以降はずっと夫や娘と同じクオリティのお弁当を持参している。

ある日の私の弁当

ある日の私の弁当

……幸福度と満足度が爆上がりした。

たかがお弁当1個の事で、こんなにも気持ちが変わるものかと自分でもビックリした。

職場で食べるお弁当は基本的には1人で食べるし、換気した上での黙食となっている。なので他人が何を食べているかは知らないし、たまたま横でお弁当だのパンだの食べている人がいたらチラ見することはあるけれど、誰が何を食べているかなんて、そもそもまったく興味がない。

だから私が食べているお弁当を誰かが見ている…なんて思ってもいなかったのだけど、ある日「白蓮先生のお弁当っていつも美味しそうですよね」と声をかけられた。すると「私も思ってた。デザートも付いてるし」と他の先生。

周りの人に自分のお弁当をチェックされていただなんて、思ってもみなかったのでビックリだった。案外、人は他人のことを見ているものなのだなぁ。それ以降、私がお弁当を食べていると覗きにくる人もいたりして、ちょっと気恥ずかしいものがある。

自分のためのお弁当も本気で作る…とか一家の主婦としては馬鹿げているようにも思うけれど、私は家族のために生きているのではなくて私のために生きているのだ。私の幸せも大切にしたい。

自分で作る自分のためのお弁当は量を自分で決められるのがとても良い。職員用の給食だと量が多過ぎるので、食べ切れない白米はラップで包んで持ち帰っていたのだ。さらに言うと自分が作っているので、自分の嫌いな献立は入れないし、デザートだって食べられる。

先日は「給食がストップした」って事について怒りの日記を書いているけれど、実のところ「食べる」って意味だけで言うならお弁当生活は気に入っている。いつまで続くかは未定だけど、しばらく楽しんでいこうと思う。

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日記
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