大人向けの恋愛小説として評判が良さげだったので読んでみた。ヒロインが若くてイケイケな職業じゃなくて「人付き合いが苦手な38歳の校閲者」なんて設定も良い。
期待を込めて読み始めたのだけど…ゴメン。私はどうやら川上未映子の作品とは相性が悪いみたい。
小説としては良く出来ていると思ったし、言葉も綺麗で大人の恋愛小説としては上質な部類だと思うのだけど、感覚的に無理だった。
すべて真夜中の恋人たち
- ヒロインの入江冬子(フユコ)は34歳のフリー校閲者。人づきあいが苦手な彼女の唯一の趣味は、誕生日に真夜中の街を散歩することだった。
- フユコにとって友人といえるのは、仕事で付き合いのある出版社の校閲社員の石川聖(ヒジリ)だけだった。
- しかしある日、フユコはカルチャーセンターで58歳の男性、三束(ミツツカ)さんと出会いミツツカさんに惹かれていく。
感想
『すべて真夜中の恋人たち』は言葉の使い方や表現力は抜群に素晴らしいと思ったけれど、どうにもこうにも感覚的に好きになれないタイプの作品だった。たぶん…だけどヒロインを好きになれなかったのが最大の敗因だと思う。
物語の設定の一部は私の好みのど真ん中って感じだったのだけど、ヒロインの駄目っぷりが好きになれなかったのだ。
- 人付き合いが苦手な38歳の女性→好き
- 58歳(独身教師)との恋→好き
- ヒロインのメンタル弱めで朝酒キメちゃうタイプ→ゴメン無理
…と言った感じ。「心の不安定さゆえにお酒飲んじゃう」みたいな気持ちは分からなくもないけれどフユコは普通にアルコール依存症だと思うし酒クズと言っても良いと思う。アルコール依存症で死んだ父に散々苦労させられた私が言うのだから間違いない(ドヤァァ)
小説家と言う人達の中にはドラッグとかアルコール依存の人が多いし、それを嗜む人達を美化することが多い。
例えば…中島らもなんかはアルコールもドラッグもキメまくる人だった。一線を越えた芸術家が素晴らしい作品を生み出すことがあるのは否定しないものの「普通の女性」にその設定を乗っけてくるのはどうかと思う。
フユコは朝からお酒飲むし、大事な人と会う前にも酔っ払てアルコールの匂いをさせてしまうような人なのだけど、それって普通ではない。「生き辛い人が行き着いてしまった結果」とか言う以前に「病院に行けよ?」としか思えなかった。
ヒロインが好きになれなかっただけでなく、ヒロインを取り巻く女性達も「いやいや。それは無いでしょ?」と思ってしまうなうな言動をする人ばかりだった。
例えば久しぶりに会う高校時代の同級生はフユコに自分のセックスレスや浮気の話をした後で「あなたは私の人生の登場人物ではないから、こんな話が出来たのよ」と言う。分かる…分かるよ。しがらみのない相手だからこそ、あけすけな打ち明け話が出来てしまったってことは。だけど、それを本人に面と向かって言う?思わず「そんなヤツおらんやろ?」と突っ込んでしまった。
フユコにとって唯一の女友だち(仕事仲間)のヒジリにしてもプライベート(性的なことを含む)を根掘り葉掘り聞き出そうとした挙げ句に「あなたを見てると腹が立って仕方がない」とか言い放つのだ。思わず「正気か?」と思ってしまった。
もしかしたら私の感覚の方が変なのかも知れないのだけど『すべて真夜中の恋人たち』に登場する女達は私の感覚からすると真っ当な大人の女性だと思えず、登場人物達に気持ちを寄り添わせることができなかった。
あと、もう1つ「これはどうしても無理」と思ったエピソードを書いておきたい。フユコとミツツカさんがレストランでデートする場面は違和感が凄かった。
フユコは人付き合いが苦手で、他人と食事に行ったりデートするタイプではな女性なのだけど、ミツツカさんのためにレストランを予約してミツツカさんの誕生日を祝うのだけど、そのレストランで出てくるメニューが凄かった。コース料理の最後に「土のスープ」と言うものが出てくる。土のザラザラした感触や味を丁寧に描写していて「ちょっと…なんで土を食べるの?」と困惑してしまった。
後で調べたところによると「土のスープ」は実在する料理で実際に提供しているレストランもある。ただし食中毒の危険性も高い。意識高い系の食通が土料理にチャレンジする…と言うなら理解できるけれどフユコのような流行に疎い女性が土料理を提供するレストランを予約するのは違和感しかなかったし「ここで土のスープを登場させる意義は何なんだろう?」と首を傾げてしまった。
私はまったく好きになれなかった作品だけど「好きという感覚」の描写は素晴らしいものがあって『すべて真夜中の恋人たち』が評価されるのも理解できる。結局のところ「私とは趣向の方向性が違う」ってだけで川上未映子は凄い作家だとは思う。
だけど、もう川上未映子の作品はこれ以上読まないだろうな…とも思う。