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高野山の思い出。

高野山は今年で開創1200年を迎える。

高野山って関西人には馴染みのある場所だけど、関西以外に住んでいる人だと歴史の教科書に書いてある「空海が開いた真言宗の総本山」くらいの認識なのだろうか? 関西だと「自分ちの実家は真言宗だし高野山にお参りに行ってた」だとか「中学校の林間学習は高野山だった」なんて話をよく耳にする。私もご多分に洩れず実家の宗旨は真言宗。子どもの頃はよく高野山にお参りに行っていた。

ツイッターで高野山のお坊さんのアカウントをフォローしているのだけど、その方のツイートを読んでいると高野山に行きたくなってしまう。最近は外国人観光客も多いのだとか。確かに高野山は文化財の宝庫。加えて今年は特別な行事が多いようなので、せっかく行くならこのチャンスを見逃すのは勿体無いと思う。

小学生の頃、夏の終わりに、母と弟と私の3人で泊まりがけでお参りに行った事がある。その時、父とは母は不仲だったので父は一緒に行かなかった。いつもは父の車で出掛けるのだけど、その時は父がいなかったので特急こうや号ででけた。夏の高野山はお盆は凄い人出だけれど、夏休みも終わり頃になると少しずつ静かになってくる。

宿坊は予約しなくても泊まる事が出来た。母から「宿坊は旅館じゃありませんよ」と言うような事を言い聞かせられて泊まったのだけど、とても静かで清潔で子ども心に「こんなお泊りもいいな」と思った記憶がある。夕食の精進料理も美味しかった。そして夕食後、1人のお坊さんが私達親子が寛いでいる部屋を訪ねてきて「ありがたい話」がはじまった。

私は「宿坊はお寺だからこういうシステムなんだな」と思っていたのだけど、なんだか話の持って行きようが変だった。お坊さんから「ところで今回はどんな御用でこちらに?」と聞かれて、母が「死産した子の骨を収めていて、供養をお願いしている。毎年お参りに来るのだけれど今年は夫の都合がつかず、親子3人で夏休みの終わる前になんとか越させてもらった」と説明すると「そうでしたか~」と雰囲気が一点。どうも無理心中に来た親子連れだと思われていたらしい。実際、高野山では「そういう事」も少なくないのだとか。

その時はただの笑い話で終わったのだけど、大人になって思い出してみると、高野山と言う場所の特異性や「無理心中を阻止すべく仏の話をしにきたお坊さん」について色々と考えさせられる。宗教って本来そういうものなんだな……と。これと言った信仰心を持っていない私が言える事ではないけれど、宗教の世界は優しい世界であって欲しいと思ってしまう。

……と。それはさておき。高野山は旅行先としてもオススメ。山全体の空気が綺麗で心地よく、奥の院までの歩いて行く道のりも楽しいし、見応えのある文化財も多いのですよ。子どもの頃に地獄絵図を見て「悪い事はしないようにしよう。地獄に落ちないようにしよう」と心に誓ったのも楽しい思い出。お寺と言うと地味で退屈なイメージがあるけれど、娯楽の少なかった昔「お寺参り」と言えば結構な娯楽だったのだから当たり前と言えば当たり前の話。

今年は人が多そうなので来年以降、家族で高野山に行ってみたいな……と思う。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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