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プレゼントにおける優しい嘘。

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夫と結婚した頃、義母から夫の自慢話を聞かされたことがある。

「あのね、白蓮さん。息子ったら結婚した途端、親のありがたみが分かったみたいで、私の誕生日の朝に電話をかけてくれたのよ。出勤前だったでしょうに…あの子は子どもの頃から優しい子だったけれど、大人になったのねぇ」

私は「へぇっ。彼は子どもの頃から優しい人だったんですね」と笑って答えたけど「お義母さん、それちゃう。誕生日の朝に電話するように仕込んだのは私やで」と心の中でニヤニヤしていた。

夫が優しい人なのは本当だけど、そんなに気が回るタイプではない。お誕生日のプレゼントは用意していたけれど「お誕生日の当日に電話をする」なんて気の利いたことの出来る人じゃななかった。

あらかじめ「お義母さんが欲しいのは嫁からの電話じゃなくて、実の息子からの電話なんだからね。お誕生日おめでとう…って言うだけで良いから朝イチで電話して」と仕込んでいたのだ。

結婚して15年を過ぎた今では夫に義母の誕生日当日に「電話してね」と言わなくても自分から電話ができるようになっているけれど、最初の数年は電話を促していた。

今は父の日だの敬老の日だのと言った行事の時の娘に対する仕込みに忙しい。

娘に「父というものは父の日をとても楽しみにしています。母の日は忘れても良いけれど父の日は絶対に忘れては駄目。安くても良いからプレゼントを用意しなさいよ」と父の日の2週間ほど前から娘の尻を叩いてプレゼントを買わせている。

もちろん夫はそんな事など知らない。父の日の当日には「娘も成長したよなぁ」とご満悦で父の日を迎える。

敬老の日も同じで娘を促して敬老の日のプレゼントを用意させる。修学旅行のお土産もそうだった。

「家族へのお土産は忘れてもいいけど、お小遣いくれておばあちゃん達のお土産は絶対に忘れちゃだめ」と言い聞かせることを忘れない。

そして娘は父方と母方の祖母達だけでなく「おばあちゃんのお姉さん」からもお小遣いを戴いていて「おばあちゃんのお姉さん」に修学旅行のお土産を郵送するのは娘ではなく私の仕事だ。

世の中には「優しい嘘」ってものが必要だと思っている。

夫や娘を促してプレゼント等を贈るとプレゼントを受け取った相手は大変喜んでくれる。大抵の場合「プレゼント云々以上に気遣ってくれるその気持ちが嬉しいのよ」みたいな受け取り方をしてくれるけれど、突き詰めて言えば「贈った本人の気持はイマイチ入ってないけど、それってどうなの?」って話だ。

だけど何もしないでいるよりも、相手が喜んでくれるのなら「優しい嘘」があったって良いと思う。

娘には「今はお母さんが口うるさく言ってるけど言われなくても出来るようにりなさい」とは言っている。

夫が15年の歳月を経て私に言われなくても母親のお誕生日に電話をするようなったように、娘もいつか言われなくても、その類の気遣いが出来るようになって欲しい。

そしてそれは「相手のため」の気遣いじゃないのだ。そういった事の積み重ねがあるからこそ沢山の人から可愛がってもらえるし、みなが笑顔で過ごすことができる。

……でも毎度「優しい嘘」を仕込んでいる私としては、たまに「それ私なんですよ」と言ってみたくなる時がある。例えば…娘が滅多に会わない「おばあちゃんのお姉さん」から中学生にしては過分なお小遣いを戴いている時などは特に。

娘が私から促されることなく「相手が喜んでくれる気遣い」の出来る人間になってくれると良いのだけど娘がどんな風に育っていくかは正直私もよく分からないでいる。

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日記
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