ここのところHPの引越でロクに本を読んでいなかった。
本どころかテレビも観ず、毎日の習慣としていた体操(カーヴィーダンスかビリーズブートキャンプ)もせず、家事と育児以外の時間は引越し作業だけして過ごしていた。
そんな中、先週の金曜日は夫の帰宅を待ちながらHPの引越し作業に励みつつ、BGV代わりに金曜ロードショーで放送していた『かぐや姫の物語』を流し見してみた。
映画『かぐや姫の物語』
ジブリのアニメはなんだかんだ言って嫌いじゃないし、清く正しいヲタクとしては抑えておく必要があるかな…くらいには思っていた。
最近のジブリはパッとしない印象が強いのだけど『かぐや姫の物語』は原作がハッキリしているから、アニメーションの美しさを堪能するためのアニメだろうと予想。
しかし、実際は予想の斜め上を行っていた。
感想
ツイッター界隈では「帝の顎祭り」で賑わっていたようだけど、それはさておき解釈が色々と酷かった。
アニメーションの美しさに関しては素晴らしかったけれど、あの設定はいかがなものか。
竹取の翁のいやらしい事と言ったらどうだろう?
女性からするとステレオタイプの嫌なオヤジでしかなかった。家族への愛情よりも自分の欲望優先。しかし、それを愛情にすり替えてしまうあたりが、どうにもこうにも。
それにオリジナルキャラの捨丸兄ちゃん。
月に帰らねばならないかぐや姫に対して「一緒に逃げよう!」と言うのだけれど、捨丸兄ちゃんは既婚者なのだ。
何故、あえてあの場面で既婚者を出してくるのか? 捨丸兄ちゃんは独身ではいけなかったのか?
「おっさんドリームの煮こごり」と言う考え方
帰宅した夫に『かぐや姫の物語』を観た憤りをぶつけたところ、夫は「あれはオッサンドリームの煮こごりだから仕方がない」と言った。
そして夫はさらに言った。
「高畑勲のアニメを見る層はすでにオッサンだからね。そこに焦点を合わせたんじゃないの?」と。
なるほど……言われてみれば納得出来る。
『かぐや姫の物語』はオッサンのガンダーラなのかも知れない。
美しいかぐや姫。だけど精神的には幼いのでオッサンに楯突く事はしない。
そんなかぐや姫を身近で見る幸せを満喫するのが竹取の翁。捨丸兄ちゃんは酒の席で浮気自慢をするオッサンの象徴なのかも知れない。
その類のオッサンはきっと、自分達の行為を女性が嫌がっているのたと想像さえしないのだと思う。
世の中のオッサンを敵にまわすような事を書いているけれど、全てのオッサンがそうではないって事くらい私だって理解している。
高畑勲がどうして『かぐや姫の物語』に素敵な男性を1人も出さなかったのが不思議でならない。
『かぐや姫の物語』を観るまでは、アカデミー賞を逃してしまった事を心から残念に思っていたけれど、あの作品でアメリカの映画賞は取れないと思う。
かぐや姫と、かぐや姫を想って独身を貫いていた捨丸兄ちゃんが手に手をとって恋の逃避行……とまではいかなくても、もうちょっとどうにか出来なかったのだろうか。
憤慨してしまった理由
私が既婚者である捨丸兄ちゃんの行動に過剰反応してしまうのは、長かった独身時代に既婚者から軽く扱われて「ちょ。結婚してるんでしょ? 冗談じゃないわよ」と憤慨した経験がそうさせるのかも知れない。
ちなみに。翌日録画を観た7歳の娘も竹取の翁については「酷い!」と憤慨していた。
しかし捨丸兄ちゃんについては気にならなかったようだ。恋も愛も結婚も娘の中ではまだ漠然とした存在なのだろう。
もし年頃になった娘が既婚者からかぐや姫のような扱いを受けたなら、私は相手をぶん殴る。
……などと、あれこれ1人で憤慨したのだけれど、それくらいインパクトのあるアニメではあった。
最近のジブリアニメは『思い出のマーニー』も『風立ちぬ』も観ていないので、機会があったら観てみたいと思う。