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真砂屋お峰 有吉佐和子 中公文庫

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コロナウイルスの影響で図書館が閉館中なので、自宅にある本を再読することにした。

『真砂屋お峰』を読むのは10年以上ぶりだけど、鬱屈とした時期に読むのに相応しい気がして手に取った。どうでも良い話だけど「真砂屋」は「まさごや」ではなく「まなごや」と読む。

物語の舞台は元禄時代後期の江戸。元禄時代と言うと華やかな文化が花開いた時代と言われているけれど、すでに元禄時代の華やかさが終わろうとしていて「奢侈禁止令」が出ており「贅沢は敵だ」と人々は鬱屈していた。

さらに言うなら江戸の街は火事の多発が大問題になっていて、しょっちゅうどこかが燃えていて、木材は高騰。

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真砂屋お峰

ザックリとこんな内容
  • 物語の舞台は江戸時代。石屋の三男だった甚三郎は大工の修行中。兄に頼まれて仕方なく、材木屋「真砂屋」の一人娘のお峰と見合いをする。
  • お互いに一目惚れした二人は結婚することになり、真砂屋は甚三郎は婿入りする。
  • 若夫婦はなかなか子宝に恵まれなかったが、仲良く仕事に精を出す。
  • そんな生活が続くかと思いきや、甚三郎を可愛がったお峰の祖父が亡くなり、甚三郎が後を継ぐのだが、金遣いの荒い伯母のお米が実家である真砂屋に益々入り浸るようになる。
  • お米が、真砂屋の名を騙って、証文を書くだけで大金を融通するという悪徳業者から借金を重ねるつもりであることを察知したお峰は、それなら自分が散財してやろうと覚悟を決め、返すつもりのない借金を始める。
  •  一方、昔通りの商売を続ける困難さに悩む甚三郎は、大店を守ることに汲々とする中で、昔の大工の修行を懐かしく思うようになる。
  • お峰の豪勢な散財振りが評判になると、方々の大名から借金の申し込みが来るようになり、甚三郎は、決して返されることのない大名貸しに応ずることで、真砂屋の財産を減らすことに尽力するが……

感想

『真砂屋お峰』の中では、何度となく同じフレーズがしつこいほどに繰り返される。

そのフレーズがこの言葉。

「末世ですねぇ、若旦那。」

これは、主人公、甚三郎を可愛がってくれたお峰の祖父の言葉。『真砂屋お峰』の作中では、当時の江戸の街の様子が描かれているのだけど、決して良い時代とは言えない。

火事で街は燃えまくっているし、経済的にも精神的にも人々は疲弊している。それでも真面目な人達は「どうにかしなきゃ」と毎日愚直に生きているのだけど、これがなかなか報われない。

『真砂屋お峰』は昭和に書かれた江戸時代の小説だけど、なんとなく現代と通じる部分があるように思う。

甚三郎、お峰夫婦は子どもが授からなかったのだけど、夫婦仲が良く真面目な人間として描かれている。しかし頑張ってもイマイチ報われない感が凄い。読者からすると、ちょっとイライラしてしまう感じなのだけど、途中から様子が変わってくるのだ。

地味に倹約して生きてきたお峰が突然豹変。店の財産を使い切ってやろうと、散財をはじめるのだ。

「奢侈禁止令」の中で行われる衣装較べとか、クレイジー過ぎてワクワクが止まらないではないか!

『真砂屋お峰』は文学的には『華岡青洲の妻』などと較べるとイマイチ注目されていない作品だけど、有吉佐和子の「物語力」よく分かる作品だと思う。とにかく溜めからの爆発力が凄いのだ。途中「地味過ぎて辛いかも…」と思うかも知れないけれど、我慢して読み進めることを強くオススメしたい。

そして有吉佐和子の凄いところは、単純にスカッとする物語で終わらせてはいない…ってこと。

甚三郎、お峰夫婦は出会った時から最後まで、自分達の中の大切なものを貫き通していて物語全体に1本筋が通っているのだ。

最後まで読むと、お峰が何を1番大事に思っていたが理解できるようになっている。そして、そのラストはスカッと派手なものではないけれど、心に染み入るような余韻を残してくれる。

久しぶりに再読したけれど色褪せることのない面白さだった。

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