大江健三郎の作品は「読みにくい」という印象があるが、その中でもこの作品は比較的読み易い部類に入るだろうと思う。
第二次世界大戦中、感化院の子供達が疎開先で体験した出来事を綴った物語だった。疎開先の村で伝染病が発生して、子供達だけが村に取り残されるという設定。
物語のコンセプトは違うけれど子供達で自治する世界を作るというあたりに、ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』を連想してしまった。
芽むしり 仔撃ち
絶望的な”閉ざされた”状況にあって、疎外された少年たちが築き上げる奇妙な連帯感。
知的な抒情と劇的な展開に、監禁された状況下の人間存在という戦後的主題を鮮やかに定着させた長編。
ノーベル賞を受賞した大江健三郎の処女長編。
アマゾンより引用
感想
それほど苦痛なく読み終えることは出来たものの、私にはこの作品の良さを理解することができなかった。
大江健三郎が何を書きたかったのか、何を表現したかったのか、サッパリ掴めず、ただ文章を追いかけただけの読書になってしまった。
村人達が感化院の子供達にする理不尽な仕打ちは、なるほど田舎だったらそういうこともあるかと納得できるし、子供達がそれなりに暮らしていく過程も分かる。
しかし感動が見つけられなかったのだ。ただひたすら不条理なドラマを眺めていたという感じなのだ。
『蝿の王』も似たようなノリだったが、こちらは読者を圧倒的な力でねじ伏せるようなパワーがあった分だけ、まだ面白かったように思う。
どうも私は大江健三郎の学者然とした文章とは相性が良くないらしい。
色気が無いというか、付け入る隙が無いというか、入っていく取っ掛かりのようなものが掴めないのだ。
物語の内容とは関係ない話だが性器を「セクス」と書くのは、その当時の流行だったのか、それとも作者特有の表現だったのか。
作品中で何度も出てくるのだが、どうにも最期まで馴染めなかった。性器の表現は言葉の選び方が難しいように思う。
「ペニス」でも「陰茎」でも使いようによってはひどく隠微な感じになってしまうので、あえて別の言葉を持ってきたのだろうと思うのだが、なんとなく「2ちゃんねる用語」のように思えてしまった。
ちょっと興味深かったのは作者の描く「他者との関わり」でだった。
主人公には弟もいて、特別な存在の少女がいたりもするのだが、誰に対してもものすごく淡白なのだ。
時代が時代だけに人のことを考えている場合ではない……という部分もあるだろうが、それ以上に、この作品はドラマよりもむしろ「自分の内面」を描くことが重視されていたように思う。
このあたりに入り込むことができれば面白く読めたのかも知れない。
何冊読んでも撃沈続きの大江文学だが、いつの日か「なるほど納得」として読むことができるのだろうか。
とりあえず、また日にちを空けて違う作品にトライしてみたいと思う。