先日、1人で天保山にポケモンをゲットしに行った時の事。
天保山公園はポケモントレーナーで賑わっていた。若い人からお年寄りまで遊べるアプリとは言うものの、平均年齢はやや高め。流行りで飛びついた「にわか」な人達は卒業していて、極寒の天保山にまで足を運ぼうと言う人達はほとんどガチ勢。
私のように「行きたくてもなかなか行けない憧れの聖地」と言う人も多いと思うのだけど、通い慣れた常連さんが多い印象。
いつも同じメンバーが集まるらしく、あちこちで社交が繰り広げられていた。
その中で「いいなぁ」と思ったのは幼児を連れた30代くらいの男性と、自転車に乗った50代くらいの男性。彼らは顔見知りらしく「こんにちは~」と親しげに挨拶を交わしていた。
親しいと言っても顔見知り程度のようで「あ。俺、仕事帰りに○○公園なんかも行くので、良かったら声かけてくださいよ」などと話をしていた。
2人は20歳くらい年の開きがありそうだけど、どうやら若い人の方がレベルが高いらしく、年配の男性は若い男性をリスペクトしているように見受けられた。
趣味の世界っていいなぁ…と思った。年齢なんか関係ない。下手すると親子ほど年の離れた2人が「また会いましょう」と気楽に約束出来るだなんて。
しかし、ふと疑問に思った。私は2人の男性がやり取りしているのを微笑ましいような気持ちで見ていたのだけど、これがパチンコだったら同じ風に思えるだろうか?
飲み屋で隣り合った人と親しくなるようなシチュエーションだったら? たぶん否定はしないけれど微笑ましいような気持ちにはならなかったと思う。
そう言えば。死んだ父はアルコールが原因で肝臓を悪くするほどお酒好きな人だった。
しかも人好きで飲み屋で顔見知りになった人を連れてきてはしょっちゅう家に泊めていた。子どもの頃は「朝起きたら知らないおじちゃんと一緒に朝ご飯食べてる」なんて普通だったし「出張の新幹線で隣合わせた人と一緒に飲んで、そのまま家に連れてきた」なんて事もあった。
家族からすると笑えない話だけど、あれも広い意味では「趣味の仲間」だと言えなくもない。
例えばパチンコ等の賭け事だって身持ちを崩すほどのめり込む人がいるからイメージが悪くなるだけであって、自分のお小遣いの範囲で楽しんでいる人だって多いはずだ。
それなのに私はパチンコ店で開店待ちしている人を見ると、つい眉をひそめてしまう。
今まで「ヲタク、キモっ!」と言われるのを苦々しく思っていたけれど、思えば自分だって口に出さないだけで大差ないのだな…なんて事を思った。
趣味が悪いんじゃない。取り組む人の姿勢が悪いのだ。
パチンコを好む人の中にもヲタク趣味の人のなかにも「これは…クズですな」と思う人は一定数存在する。だけど、それはごく一部の人達であって全てではない。
天保山公園でそんな事をふと思った。