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小学校3年生の憤懣。

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最近、娘が愚痴っぽくて困る。

学校から帰宅して習い事があったり友達と約束している日は良いのだけれど、習い事も無いし、友達と約束もしていない日はオヤツを食べながら学校の愚痴が止まらない。

人間、誰かに話を聞いてもらうだけでスッキリする…って事は重々理解しているので聞き役に徹しているのだけれど、娘も小学校3年生なりの憤懣を抱えているようだ。

娘が憤懣を抱えている…と言っても深刻な問題は1つもない。「クラスメイトに意地悪な子がいる」とか「ちょっかい出してくる男子が嫌だ」とかそんなレベル。

自分の思い通りにいかないのは大人も子どもも変わらない。しかし最近娘は「ある事」に気がついてしまったらしい。そして、それは娘にはどうしても納得出来ないようだ。

娘は気付いてしまったのだ。不真面目な子がたまに掃除をしたり良い事をすると盛大に褒め称えられるのに、真面目な子は滅多に褒められない…と言う事に。

コレ、凄く分かる。私も夫も娘と同じタイプだったので痛いほど分かる。そう…世の中に蔓延る「ヤンキーがたまに掃除したら褒められる現象」ってヤツだ。

真面目な人間は普段からちゃんとやるべき事をやっている。

しかしヤンキー(不良と言い換えても良い)は普段はズルしてちゃんしないくせに、気まぐれで掃除をしたるなんかすると担任から「おっ。ちゃんとやってるじゃないか」みたいに褒められる傾向にある。これは学校と言う社会を出た後も決して変わる事はない。

「昔はヤンチャしてたけど、今は真面目に働いてます」と言うような話は美談として讃えられるが、昔から真面目で大人になってからも真面目に生きている人の話は美談にはならないのだ。

娘には「腹が立つのは分かるけれど、これはお父さんやお母さんの時代も同じだったよ。そして残念だけど、こう言う事って大人になっても変わらない。まぁ…気持ちは分かるけけれど、どうしようもないよ」

「納得出来ないとは思うけれど、口に出さなくても見てる人はちゃんと見てるよ。少なくとも先生はYがちゃんと頑張ってる事は分かってくれていると思うよ」と言うような事を話して聞かせた。

これはなかなか難しい問題だな…と思う。

「不真面目にしていても褒められるなら不真面目でもいいじゃない」ってのはどうかと思うし「不真面目だった人が頑張った時は褒めてあげた方が良い」ってのも、もっともな事だし。

残念ながら世の中は真面目にしている人が得をするようには出来てはいないのだ。

娘はこれからもっともっと世の中の理不尽さを感じるようになると思う。その中でどう生きるかは娘自身が決めることだし、しっかり考えていって欲しいと思うのだけど、親としては愚痴りながらでも真面目に生きる人間であって欲しいな…と思う。

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日記
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