『ボーはおそれている』(原題:Beau Is Afraid)は『ミッドサマー』でお馴染みのアリ・アスター監督のホラー映画。
主演は『ジョーカー』のホアキン・フェニックス。私にとって『ボーはおそれている』は「そりゃあ面白いに決まってるでしょ!」くらいの勢いで待っていた作品。
もう楽しみで楽しみでたまらなかったので公開日の翌日(公開日は仕事で行けなかった)に映画館へ突撃したのだけど、観終わった瞬間の感想は「もう2度と観たくない」だった。凄い作品には違いないし面白かったけれど「2度と観たくない」と思っちゃうのって、ある意味凄い。
なお『ボーはおそれている』はR15+指定なので方向性はお察し戴きたい。そして今回は盛大なネタバレ込の感想なのでネタバレNGの方はご遠慮ください。
ボーはおそれている
ボーはおそれている | |
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Beau Is Afraid | |
監督 | アリ・アスター |
脚本 | アリ・アスター |
製作 | アリ・アスター ラース・クヌーセン |
出演者 | ホアキン・フェニックス ネイサン・レイン エイミー・ライアン |
音楽 | ボビー・クーリック |
公開 | アメリカ 2023年4月21日[ 日本 2024年2月16日 |
ざっくりとこんな内容
主人公のボーはメンタルクリニックに通う心配性の中年の男性。生きづらさを抱えていて、現実と妄想が入り交じる日々を送っていた。
ボーは離れて暮らす母親の誕生日に合わせて実家に帰省する予定を立てていたのだが、ボーの母が突如怪死する。
母の葬儀をしなければならないため、ボーは実家を目指すのだがその道中で様々な奇妙な出来事に見舞われていく……
スラム街の描写がキツイ
『ボーはおそれている』はボーの妄想と現実が入り混じっていてどこからどこまでがボーの妄想で、どこからどこまでが現実で起こったことなのかを判定するのが難しい上に、ちょいちょい過去の思い出が挿入される。
正直、意味不明なので以下の文章は『ボーはおそれている』に対する「考察」ではなくて、あくまでも私個人の感想くらいに受け止めて欲しい。
一応「旅」の物語なので話の流れとしては大きく5つの場所(場面)で構成されている。
- ボーが一人暮らしをしているスラム街での描写
- 怪我をしたボーを世話する謎の医者夫妻の家
- 演劇集団がいる謎の集落
- ボーの実家
- 謎の裁判所
冒頭部分、ボーはスラム街(と思われる)場所のアパートの一室でひとり暮らしをしているのだけど、スラム街の描写がとにかくエグい。浮浪者や半グレ的な若者、どう見てもヤク中の人などがウロウロしていて世紀末感さえ漂っている。
ただしスラム街の描写は現実とボーの妄想が入り混じっていると思われるので、どこからどこまでが本当なのかは謎ではある。
ボーを演じているホアキン・フェニックが主演した『ジョーカー』の街の描写とも少し重なるなぁ…と思ったりした。「スラム街なんて、どこも似たりよったりでしょ?」と言ってしまえばそれまでなのだけど。『ジョーカー』の主人公も精神病を患っていて、ボーと重なる部分がある。アリ・アスターがホアキン・フェニックスにボーを演じてもらったはの意図があってのことだと思う。
『ジョーカー』と『ボーはおそれている』は似た要素があるものの、方向性は違っていて『ボーはおそれている』の方がホラー味が強く『ジョーカー』以上に精神世界の部分が多い。
ボーはこのスラム街のアパートの一室で母親の死を知り、実家に帰ろうとする途中で交通事故に遭遇して次の場面へと展開する。
謎の医者夫妻の家
ボーはスラム街を脱出しようとした矢先、車にはねられて怪我を負う。普通なら救急車が呼ばれて病院へ搬送されるのだけど、ボーをはねた女性ドライバーの夫は外科医で、ボーは気がつくと医者夫妻の家のベッドで寝かされていた。
しかし、この医者夫妻の家庭の設定が猛烈に気持ち悪い。
- 夫は高名な外科医
- 高校生の娘が1人
- 長男は戦死
- 戦死した長男の戦友を自宅で引き取って療養させている
ボーは高校生の娘の部屋に寝かされていて、娘はいかにも…な感じのヤンキー娘。さらに言うなら娘は完全に病んでいる。戦士した息子の戦友は精神に異常をきたしていて、何かあると鎮静剤が打たれる。イカれたスラム街の描写が終わっても、なお悪夢のような状況が続いていく。
もうこのあたりから「この場から逃げ出したい」って気持ちでいっぱいになっていた。たぶん自宅で見ていたら脱落していたと思うのだけど、映画館では逃げ場が無いので最後まで観るしかなかった。
ボーは怪死した母親を埋葬するために一刻も早く実家に戻る必要があるのに、外科医夫妻はなんだかんだ言ってボーを手放そうとしない。高校生の娘はボーを邪魔に思っているし、死んだ長男の戦友って男は暴れるしで八方塞がり状態のボー。観ていて辛い…辛過ぎる。
そんな中、高校生の娘はボーの眼の前で青いペンキをガブ飲みして自殺を図り、ボーは娘が死んだことで怒り狂う母(医者の妻)と精神を病んでいる長男の戦友から追われるのだが、命からがら逃げ出して場面転換が行われる。
『ミッドサマー』を連想させる謎の集落
医者夫婦の家から逃れたボーは深い森の中を彷徨う。そんなボーが行き着いたのは演劇集団がいる謎の集落。演劇集団は森から森へと移動して公演しているらしい。なんとなく『ミッドサマー』のコロニーを彷彿とさせる雰囲気で『ミッドサマー』を観た人は「ついにキターーー!」と思っただろうとお察しする。
ボーは謎の演劇集団の芝居を鑑賞するのだけれど、いつしかボー自身が演劇の世界へ入っていく。このあたりはボーの妄想世界だと思うのだけど、そもそも『ボーはおそれている』の映像は全編を通して「どこからどこまでが現実で、どこからどこまでがボーの妄想なのか?」ってところの線引がよく分からない。
演劇の世界の中でのボーの人生も苦難に満ちているのだけれど、現実とは違ってボーは恋愛を成就させて息子が2人生まれている。演劇世界の最後の部分でボーは息子に自分が童貞であることを告白し、演劇世界が崩壊する。
そしてボーは彼に取り付けられた位置情報装置から、ボーの居場所を突き止めた謎の暗殺者に追われ、暗殺者は集落にいた演劇集団の面々を大虐殺。ふたたびボーは逃げ出して、ようやく本来の目的であった実家にたどりつく。
実家で明かされるボーの真実
ボーが実家に帰ったことで、今まで謎だったボーの全容が少しずつ明らかになっていく。実は物語の要所要所でボーの過去が明かされてはいるのだけれど、ここまではパズルのピースをところどころ開示されている感じだった。
ボーの母親は一大で財を成した大企業の社長で大金持ちの女性。
「そんな大金持ちの一人息子がどうしてあんなスラム街のアパートで一人暮らしをしていたの?」と謎な部分は付きないものの、そもそも妄想と現実が入り混じっている世界なので、気にしたら負け。
ボーの父親はボーが生まれる前に亡くなっている…って事になっていたけれど、実は生きていた…みたいなエピソードが登場したり、ボーには双子の兄弟がいたとかいう設定も突っ込んできたりと盛りだくさん。もう訳がわからないし頭が変になりそう。
母の叫びと親子関係
実家ターンに入ってからボーの母親像が色濃く分かってくる。
『ボーはおそれている』のベースはやはり「家族」だったんだなぁ…と、母親描写には納得のいくところが多かった。
特に面白かったのは母親が「自分はめちゃくちゃ頑張って子どもに愛情を注いでいるのに、子ども(ボー)は何も返してくれない」と言う場面。「なるほど…ボーの母親は毒親で母になる資格がない人だったんですね」と捉えることもできるけれど、私は仕事柄、違うことを考えていた。
ボーの母親の叫びって、知的障害や発達障害の子どもを育てている母達の叫びそのままだなぁ…と。
残酷な話だけど「自分は一生懸命、愛情を注いでいるつもりなのに我が子と心を通わせることができない」ってことは知的障害や発達障害、精神障害の子を育てている人にありがちなことなのだ。例えば…だけど、知的障害が重い場合、家族の認識が怪しかったりすることは多々あるし、自閉症も重度となると本当に他者と心を通わせることが難しい。
知的障害、発達障害、精神障害の人の世界と、そうでない人の世界は同じ空間で同じ時間を過ごしているのに「生きている世界線が違う」くらいの隔たりがある。
ボーの持つ何らかの疾患が生まれ持ったものだった…とすれば、ボーの母親の苦労は想像できるし、そうなってくるとボーの母親が毒親だったとは言い切れないな…なんてことを考えてしまった。
ただし、このあたりのことは私個人の考えに過ぎないので、アリ・アスターがどんな意図を持って設定したのかは分からない。
世界最大級のペニス
ボーの実家の場面で驚いたのが唐突に登場するペニス型のモンスター。そのモンスターは死んだと思っていた(思わされいた)ボーの父親って設定。たぶん…だけど映像史上最高にビッグなペニス(チ◯コ)だと思われる。
そんな物、わざわざ映像化する必要ある?
アリ・アスターの狂気をしみじみと味わうことになった。そもそも『ミッドサマー』でも散々セックス描写を見せつけてくれたので、アリ・アスターの変態さについては理解していたつもりだったけれど、こんな小学生男子みたいな映像をドヤってくるとは思ってもいなかった。
巨大ペニスを見た時は……勘弁してください。もうたくさんです…って気持ちでイッパイだった。
謎の水上裁判
『ボーはおそれている』は最初から最後までボーが逃げまくることで話が進んでいくのだけれど、最後は謎の水上裁判。
ボートに乗ったボーは水上闘技場…のような場所で観客が大勢いる中で裁判を受けることになる。そこには死んだはずの母親もいて「ボーの犯した罪」が裁かれる。大ラスのオチだけは伏せさせて戴くけれど、この水上裁判は「胎内回帰では?」と考えている人が多いみたい。赤ちゃんは母親の子宮の中で羊水に浮かんでいるよね…的な。
最後の場面をどう解釈するのかについては、私の中でまだまとまっていないりのだけど、本当に最初から最後まで長い悪夢を見ているようだった。
『ミッドサマー』と『ボーはおそれている』の違い
さて。最後まで観て感じたこと。『ミッドサマー』と『ボーはおそれている』には共通する項目がいくつもある。家族をテーマにしていることだったり、性のことだったり、精神世界だったり。
だけど『ミッドサマー』と『ボーはおそれている』は決定的な違いがあるように感じた。
『ミッドサマー』はなんだかんだ言って観る人の気持ちに寄り添った作品だと思う。誰もが感じている感覚にアプローチしつつ「こう言う感覚って分かります? ですよね~。私もそう思ってたんです」みたいなノリ。
それに対して『ボーはおそれている』は一方的な感じ。アリ・アスターが「いいか、おめぇら、俺について来い!」と観る人の気持ちなんてまったく頓着せずに自分の世界を押し付けてくるノリ。
作品としては『ミッドサマー』の方が分かりやすいし親切だと思うのだけど、きっとアリ・アスター自身は『ボーがおそれている』の方が作っていて楽しかったのではないだろうか?
自分の中の世界をここまで素直に乱暴に表現出来るって素晴らしいな!
まぁ…それはそれとして。観る側からすると「お金を払って3時間、嫌な映像を強制鑑賞させられたな…」って感じではある。
だけど不思議と見終わった後、心は軽やかだった。頭をぶん殴られた衝撃でスッキリした…みたいな感じ。もう2度と観たくないと思うけれど、わざわざ映画館まで観に行って良かったと心から思う。
アリ・アスター。凄い監督だ…新作出たら、絶対に観る。