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炊き出しボランティアのポスター。

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私と夫は毎週末、共通の趣味であるウオーキングを楽しんでいる。

その日の予定や天気、状況次第で歩くコースも距離も色々だけど、歩いていると色々な物が目に飛び込んでくる。そして、目につい物がキッカケで夫婦で話が弾むことがある。

先日、とある教会の前で「炊き出しボランティア募集」についてのことが書かれていた。1日のみのボランティアで飛び込み歓迎。具体的にはおにぎりを握る仕事とのこと。手を動かすのもそうだけど、し家庭に男性用の衣料品があれば寄付して欲しいとも書いてあった。にぎったおにぎりは釜ヶ崎に持っていくらしい。

釜ヶ崎とは大阪の西成区にある日雇労働の街。ホームレスが多いことで有名。いわゆる「弱者ビジネス」が盛んで生活保護で暮らしている人も多い地域。

夫がふと「おにぎり配るの…って意味あるのかな?」ってことを口にした。

おにぎりを渡したところで彼らの根本は変わらないのでは?
おにぎりを渡すの自己満足じゃないのか?

…みたいな事で、その意見もよく分かる。だけど私の考えは夫とは違っていて「炊き出しボランティアには意味があるよ」と反論した。

おにぎりを配ったりしたところで、彼らの根本が変わらないのはその通りで問題解決には繋がらない。だけど彼らを支援するのは社会に良い影響を与えるから必要なことだ…と。

もっと具体的に言うなら「無敵の人やジョーカーを生み出さない努力は必要なのでは?」ってこと。闇落ちした人間は本当に強いし怖い。何だって出来る。彼らに「闇落ちしないでいてもらう」ってことは社会にとってプラスになると思うのだ。

貧困率と犯罪率は深く繋がっている…ってことは知られるところではあるけれど「ギリギリのところで踏みとどまれるか」「一線を超えるか」ってところは大きな違いがある。

炊き出しだけでなく生活保護も同じことで「働かないヤツらを税金で養うなんて馬鹿げてる」と言う人の気持ちはよく分かるし、真面目に働いている人が税金を収めて、その税金でパチンコ打つ人がいる…ってのは許せないのは本当にその通りなのだけど「じゃあ、彼らを放置して本当にみんんな幸せになれるの?」って話。

健康で知能の高い人はしっかり勉強して社会を引っ張っていく人材になってもらって、じゃんじゃん稼いで経済を回してもらう。そうでない普通くらいの人(だいたいの人がこのカテゴリで私もココに入る)は、それなりに暮らして真面目に働く。働かない(働けない)人はせめて悪いことをせず、みんなの足を引っ張らないで生きて戴く…みたいなイメージ。

私自身は自分の家族のことと仕事のことでイッパイ・イッパイなので社会のためにボランティアをしよう…なんて気持ちになはれないけれど、ボランティアをする人達のことは尊敬しているし必要な活動だと思っている。

本当のことを言うとボランティアではなく、あくまでも公的支援として行うべきだと考えるのだけど。

「それにしてポスター1枚で色々な話ができるもんだね」と夫と意見を交換した。ちなみに今回の「炊き出しは必要」と言う私の意見については夫も「なるほど…確かにそうだね」と同意してくれた。

夫とのウォーキングは本当に楽しい。電車や車移動をしていたら見えない景色が見えてくる。これからも夫と色々話をしながらたくさん歩きたい。

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日記
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