寺地はるなの作品を読むのはこれで3冊目。1冊目を読んだ時はイマイチ共感出来なかったものの、2冊目の『水を縫う』を読んだ時に「上手くなってる!」と感心したので、続けて3冊目も読んでみた。
着実に上手くなってる!(小並感)
前回『水を縫う』で「語りが1人称なのに活かしきれていない」と書いたけれど、今回の『カレーの時間』ではそこのところがクリア出来てた!
そして『声の在りか』『水を縫う』『カレーの時間』と寺地はるなの作品を3冊読んだことで彼女が書こうとしているテーマがなんとなく理解できた気がする。
カレーの時間
- サラリーマンとしてカルチャーセンターで働く桐矢はゴミ屋敷のような家で生活する祖父の義景と暮らす事になってしまった。
- 祖父の義景は妻と離婚後、男手ひとつ娘達ひを育ててきたが父娘の関係はギクシャクしていた。
- 義景は偏屈な老人だったが、そんな彼が唯一心を開く瞬間はカレーだった。
感想
『カレーの時間』で私が1番気に入ったのは主人公の祖父のキャラクター。もう老害としか言いようのないクソジジイなのが素晴らしかった。
昭和の価値観を引きずった老害ジジイで店員には横柄だし「女は家で料理作ってりゃいいんだ」みたいな考え方の男。娘達は自分の父親を嫌っていて父娘の関係はギクシャクしていた。
一般的に「男手ひとつ娘を育てる」みたない話だと「男手ひとつ娘を育てるのは大変だったと思うけどお父さんは本当に偉かったよね」みたいな展開になりがちなのに、クソジジイを持ってきたところが凄い。
そしてクソジジイはクソジジイなりに正義だの誠意だのを持った男だった…ってところがとても良かった。
今回はネタバレを避けたいので詳細は書かないけれど、父と娘の確執は「ボタンの掛け違い」が原因だった。そして「ボタンの掛け違い」は父が悪い…と言うか「ちゃんと自分の口で話をしなさいよ。自分の価値観に凝り固まってる場合じゃないですよ」って話だった。
家族とか親族が仲良くやっていくって案外難しい。
例えば…だけど、私も実母や義母と話していて世代的な考え方の違いに困惑することがある。実母や義母は彼女達なりの正義や常識の中で生きていて残念ながら今の時代ではあり得ないような発言をすることがある。
世代間の考え方や価値観のギャップって時代が変わっても永遠にあり続けるものだと思うし、心の中のわだかまりや溝を埋めることはできない。だけど、その中で互いに歩み寄ったり理解しようとすることは出来ると思う。
寺地はるなは現代日本の家族とか親族の抱える問題に取り組みたい人なのかな…って気がした。
『カレーの時間』の場合、老害としか思えないクソジジイをピックアップしたところを評価したい。そして「クソジジイは心を入れ替えて良い人になりました」みたいな安直な流れにせず「クソジジイがあんなことをしていたのには彼なりの理由があったんだよね」程度に留め置いたところが素晴らしいと思った。
寺地はるなの作品は今後も注目していきたいと思う。