『雲南の妻』は控えめに言って怪作だと思う。
なんだろう…この感じ。私、村田喜代子の虜になってしまいそうだ。
村田喜代子者の作品を読むのはこれで3冊目。1冊目も2冊目も絶賛しているのに、長らくその存在を忘れていた。そして久しぶりに読んだこの作品。
私の好み、ド直球過ぎて、どんなと風に感想を書いて良いのか分からない。
雲南の妻
- 主人公は子どものいない既婚女性。
- 夫は商社勤務で海外(主に中国の奥地)に買い付けに行くことが多く、主人公もそれに伴っている。
- 主人公の夫は仕事で雲南の人と商売をするのに、現地り女性を通訳のとして雇う。
- 主人公は夫がいる状態で通訳の女性と「女性同士の結婚」をする。
感想
日本の常識だと「女性同士の結婚なんて、そんな馬鹿な話あるわけない」となるのだけれど、ある少数民族では
- 夫と妻
- 妻の妻
……と言うような形で、ひとつ屋根の下に2組の夫婦ず存在する結婚があるとのこと。
夫がハーレム状態で2人の妻を得るのではなく、妻の妻はあくまでも「妻の妻」であって、夫は2人目の妻には手が出せない事になっている。
同性愛物とか、そういう類の話でもなくて、だからと言って女同士の間に友情以上の物が無いかと言うと、そうでもない。
中山可穂や松浦理英子のようにガッツリと女同士の性描写はないし、上品な文章なのだけど、そこはことエロティクな雰囲気が漂っていて、なんだか不思議な作品だった。
女同士の結婚がある少数民族の男性はこんな事を語る。
家の中に仲の良い女が2人いて、始終楽しそうに笑ったりしゃべったりしている姿は、実に幸福な眺めではありませんか(後略)
女同士の結婚には色々な背景があり、副主人公も考えがあって日本人女性を「夫」とするのだけれど、色々と考えさせられてしまった。
ちょっと脱線するけれど、漫画家の森薫も『乙嫁語り』という作品の中で女同士の結婚(姉妹妻)をテーマの短編を描いている。
『乙嫁語り』での姉妹妻の場合、結婚の申込みをする儀式もあり、お互いの状況が許すのであれば新婚旅行に行ったりする…と言う設定だった。
『雲南の妻』や『乙嫁語り』に描かれている女同士の結婚は妄想の産物ではなく、アジアで実際にあった風習。資料が少なくて実際の運用は分からないけれど、古き良き少女小説に登場する「姉妹」みたいな関係だったのかな…と想像したりする。
そして、ありえない事なのだけど「もし自分が主人公の立場だったら、女同士の結婚はアリだろうか?」と考えてみた。
私だったらそれは「アリ」だ。
作中にも書かれていたけれど女は女同士でキャッキャウフフするのが好きなのだ。ある意味自然な姿だと言ってもいい。
作中には様々な結婚の形や様々な倫理観の民族が登場するのだけれど、価値観の違いに戸惑ったり「なるほど」と感心したりと、とても興味深かった。
なんだか久しぶりに本を読んでガツンときた。村田喜代子の作品は今後、意識して読んでいきたいと思う。