大崎善生んの書く話は、どれを読んでも同じ気がする。
彼に静かで哀しい空気を書かせたら、たまらない。「静謐な」という形容詞が、これほどしっくり当てはまる作家さんも珍しい。
別れの後の静かな午後
それは僕に必要な静かな午後だった。風も波もない、まったく平静な宇宙空間にいるような時間が―恋人との別れから三年後、一本の電話が僕を直撃した。胸の痛みを抱えながらも、やがて心の奥底が暖かくなる時間が訪れる(表題作)。別れとはじまり、生きることの希望を描いた珠玉の短篇集。
アマゾンより引用
感想
地味な掌編を集めた短編集。表題作は途中から唐突に甘っちょろい展開になって辟易したが、その他の作品はどれも良かった。
今まで、この大崎善生は「恋人」をテーマに書くのを得意としているのだろうか…と思っていたけれど、むしろ「親子」の方が得意なのかも知れない。
重松清には描けないであろう「父」の姿にジンとした。
世の中には、色んなタイプの「父」がいる。その中でも「喋らない父」の素敵さを描くのは難しいのか、あれこれ数を読んでいても「黙して語らず」タイプの父を描いた作品で「これは素敵だ」と膝を打ったことはほとんど無い。
家族とか父を描く名手というと、向田邦子の名前があがるが、彼女の描く父は、それなりに語る人なので、この作品に出てきた「父」は、ちょっと珍しいかも知れない。
この作品を読んで、もう1つ感じたのは表題作の題名にも使われている「別れ」というキーワード。
大崎善生の書く別れは余韻を味わうための別れだと思う。完璧に切断された別れではなくて、細い糸で繋がったままの別離と言うか。
現実を振り返って考えてみても、完璧な別れってのは滅多にないのだ。ましてや、そのことに対する思い入れが深ければ深いほど、その余韻はいつまでも続く。
作品とは、まったく関係の無い話なのだが、大崎善生の作品を読むと、思い出さずにはいられない人がいる。大崎善生の書く作品の空気と、その人の持っている空気はとても似ているのだ。
特定の作品を読んで誰かを思い出す…ってのは、ちょっと珍しい感じ。もちろん「あ。この作品は○○さんも好きだよね」なんてのは除くのだけど。
安定して面白い短編集だと思った。