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わたしが・棄てた・女 遠藤周作 講談社文庫

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「虐げられた人間」を書かせたら遠藤周作は最高だなぁ…と思わずにはいられない。

『わたしが・棄てた・女』は森田ミツの不憫さにはじまって、森田ミツの不憫さだ終わっていると思う。

分類的には恋愛小説の枠に入るのだろうか。筋書きだけで言うと、パッっとしない田舎娘が男に遊ばれて棄てられる……ってだけの話なのに、グイグイと押してくるのだから不思議である。

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わたしが・棄てた・女

大学生の吉岡が二度目のデイトで躯を奪ってゴミのように棄てたミツは、無垢な田舎娘だった。

その後、吉岡は社長の姪との結婚を決め、孤独で貧乏な生活に耐えながら連絡を待ち続けるミツは冷酷な運命に弄ばれていく。

たった一人の女の生き方が読む人すべてに本物の愛を問いかける遠藤文学の傑作。

アマゾンより引用

感想

主人公の卑怯さと、愚かしいまでに一途なミツの描写が上手すぎる。

主人公もミツも小説の中に生きる特別な人ではなくて、自分の周りにもいるよね…って人なところが、これまた切ない。

ちなみに私自信が共感したのは主人公の卑怯なところ。ミツには共感出来なかった……と言うよりも、たぶん私とは違う種類の人間なのだと思われる。

この作品を初めて読んだのは10年以上も前で、その当時はミツの不憫さに涙したものだけど、今になって読んでみると違う側面が見えてきて面白かった。

遠藤周作フリークとして、こういう事を書くのはどうかと思うけど、遠藤周作って、かなりM気質の強い人だよなぁ……とか。

人間を書かせたら上手いけど、恋愛を絡めて小説と言う意味では、かなり野暮ったいなぁ……とか。

軽い罵倒はさておいて。作者は多くの作品の中で「決して報われない無垢な人」を書き、その中に自分のイエス像を投影していて、どの作品もキリスト教へと繋がっていると言っても過言では無い。

以前は彼の書く「救いのない救い」とか「共感だけの救い」みたいなものに安らぎを感じていたのだけど、今になって『わたしが・棄てた・女』を読むと「やっぱり、やり切れないなぁ」と思わずにはいられない。

俗っぽい人間ってのは「とりあえず、今すぐ良い思いをしたい」って願いを捨てきれなかったりする訳で。

自分の気持ちに折り合いをつけながら「幸せに生きる」ってのは簡単なようでいて難しいなぁ……なんてとを思った。

私がもっと、年を重ねてこの作品を再読したら、違った感想が生まれるかも知れないので、それを楽しみにしてまた読んでみようと思う。

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