はじめて読んだ時は「なんて面白いエッセイだろう」と思ったものだが、いざ再読してみると、お腹を抱えて笑えるほどのエッセイではなかった。
読んだ当時は、私自身が今よりずっと若かったこともあったし、なにより作者の作品と出会って「蜜月」のような時間を過ごしていたということもあったので、必要以上に面白く感じたのだろうと思う。
ぐうたら社会学
敬虔なクリスチャンにして、『沈黙』ほか、文学史に残る数々の名作を遺した遠藤周作。
そのもうひとつの顔は、大仏の掌で「アア、コリャコリャ」と踊る酔っ払いに親愛の情を感じ、「お前にはマメ狸が憑いとる」と占い師のご託宣を受けて落ち込み、庭のアヒルとにらみあう、かわいらしくも可笑しい「狐狸庵先生」であった。
含羞とエスプリがにじむ、極上のユーモアに満ちた狐狸庵のエッセイの真骨頂。
アマゾンより引用
感想
再読してみて「それほど面白くないなぁ」と感じたのは、私が成長したということもあるが、エッセイというジャンルの性格の問題もあると思う。
あまり時代を反映していないものなら、そうでもないのだろうが、時代背景が見えるエッセイに関しては、その作品がどんなに面白かったとしても「古臭い」印象を受けてしまいがちである。
古臭さがしっくりくる作品もあるが、この作品に関してはあまり良い効果を成さなかったようだ。
再読してもなお面白いと感じたのは作者が大好きだったという「悪戯」にまつわる話。
作家仲間に手の込んだ悪戯電話をして楽しんでいたというエピソードや、入院している病院のベッドに、フランス製の「ウンコの玩具」を置いて、看護婦さんを驚かせたというエピソードなどは、かなり好きだ。
「生活の中の笑い」を大切にした彼は、終生「悪戯」を愛していたようだ。
もちろん悪戯といっても、人を不愉快にさせるような悪戯ではなくて、騙されたあとで「悔しい」と思ったり、一緒になって笑ったりできるような他愛のないものである。
私も悪戯や、ちょっとした「仕込みイベント」は大好きなので、遠藤周作がくだらない悪戯に情熱を傾けた気持ちは、ものすごくよく理解できるのだ。
毎日の生活は面白いことよりも、そうでないことの方が断然多い。だからこそ「面白いこと」を探したり、「笑い」を生み出す努力をするのが大切だと思うのだ。
今にして読むと「それなりに面白い」としか思えない作品なのだがそれでも「毎日楽しく暮らそうじゃないか」という遠藤周作のメッセージが込められているような気がして、やっぱり好きな1冊である。
ぐうたら社会学 遠藤周作 集英社文庫