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死について考える 遠藤周作 光文社

遠藤周作は純文学を書く「遠藤周作」の顔と、ユーモアエッセイを書く「狐狸庵先生」の顔と、2つの顔を持っていると言われているのは周知のことだ。

しかし私は、もう1つの顔「病人・遠藤周作」の顔も興味深いと思っている。

遠藤周作はご自身が病気がちで入退院を繰り返しておられたことから『心あたたかな医療』をという運動をされていて「病気」「病院」「人の死」についてのエッセイを書く時は、遠藤周作の文章でも、狐狸庵先生の文章でもない、真面目だが心温かい文章を書いているように思うのだ。

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死について考える

「本当に苦しいでしょうね」「やがて私たちもそうなるんですから」生き残る者のこの言葉はまもなく地上を去っていく者に理解と人間的連帯とを示し、ある程度の慰めを与える。

だが、それは死んでいく者の苦しみの半分を慰めてあげても、あとの半分を鎮めはしない。その50パーセントをも鎮めるためには…。

著者が遺そうとした心優しいメッセージ。

アマゾンより引用

感想

遠藤周作「日本人的キリスト教感」について考えた人だったが、とくに人生の後半は、仏教的な思想に深く係わっていたらしい。

私が遠藤周作の書く「死」についての文章を読んでも、たいして反発を感じずにいられるのは、バリバリのキリスト教論を振り回していないからだと思う。

抹香臭い感覚が、なにげに日本人を感じさせてくれてホッとするのだ。

遠藤周作が「死」を語る時のポイントは2つある。

1つはジタバタしたっていいじゃないかということ。

「死にたくない」とか「死ぬのが怖い」というのは当たり前の感覚なのだということを、何度も何度もシツコイくらいに繰り返している。

そしてもう1つは「デス・エディケーション(死の教育)のこと。

死について考えることで、死んでゆく人間や残される人間の苦しみを少しでも和らげようじゃないかということである。

病院は病気を治すところではあるけれど、それと同時に、かなりの数の日本人が死を迎える場所でもある。

それだけに病気を治すというだけでなく、もう1歩踏み込んだものを……というのが『心あたたかな医療』運動なのだと思う。

「病人・遠藤周作」の書く文章は、とても優しい。

人間には色々な部分でもって構成されている訳で、私は100%の人間なんていないと思っているのだが「優しい部分」や「いい部分」だけを抽出して表現するのは可能だと思う。

遠藤周作が死について語っている文章は、自分や自分の周囲の人間に対する「優しさ」が抽出されて出来たものなのだと思う。

遠藤周作は真面目過ぎる面や、理想主義過ぎる面もあるけれど、ニヒリズムでもって死を語られるよりも、優しさでもって語ってくれる方が好感が持てる。

私には遠藤周作の優しい顔は純文学を書く顔や、狐狸庵先生の顔と同じくらい……もしかしたら、それ以上に好きだな…と思っている。

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