『悪霊の午後』は「悪魔のような女」に翻弄される主人公を描いたエンターティメント小説。
軽くホラーというか、ミステリーっぽい雰囲気を漂わせているが、私としては、これっぽっちも面白いとは思えなかった。
いくら私が遠藤周作のファンだからって「どれを読んでも面白い」という訳ではないのである。
遠藤周作の書くエンターティメントは、どれもこれもイマイチで好きになれないのだが、他の作品を読む時の副読本とするのならそれなりに意味はあるかも……と思ったりする。
悪霊の午後
現代の魔女・南条英子の妖しい魅力を描く長編サスペンス。交通事故で夫を亡くした若く美しい未亡人に魅せられる男たち。作家・藤綱は、英子の夫の事故死に疑問を抱き、不可思議な事件の糸をたぐり寄せて、戦慄する。彼女のつつましやかな素顔の下に隠されている魔性とは……。遠藤文学の異色作。
アマゾンより引用
感想
この作品で私が気になったのは「遠藤周作の中にある死への衝動」だった。
純文学系の短編を読んでいて「あれっ? もしかして、この人ってば自殺願望を持っているのかも」と思ったことがあるのだがこの作品で、その考えは確信に変わった。
この作品の中で主人公が「悪魔的な力」にそそのかされて、自殺しようとする場面がある。
結果的には妻の愛でもって、自殺は思いとどまるのだが、なんとも腑に落ちないというか、スッキリしない形での決着の付け方であった。
作者の書く作品は、明るいものであっても暗いものであっても、根本は「前向き」であったり生への肯定であったりするものが多い。
それだけに、そんな作品を書く人が、人一倍「死への衝動」が強いというところが興味深い。実際問題として、人間ってそんなものかも知れないなぁ……と思ったりもする。
その怖さを知っているから「そうありたくない」という力が強くなるというのは当たり前の成り行きと言うか、なんと言うか。
遠藤周作は病気ばかりしている中で、何度も「死にたい」とか「逃げたい」とか、そんなことを考えていたろのだうか。
遠藤周作の死後に出版された順子夫人の手記をあわせて読んでみて、そんなことを思ったりした。まぁ、本心なんて本人にしか分からないことなので、あくまでも推測の域を出ないのだけど。
以前にも「作者の描く女性はイマイチ」というようなことを書いたけれども、この作品はイマイチさ全開という感じである。
悪女がちっとも生きていない。あまりにも薄っぺらい悪女で膝カックンである。
遠藤周作は「女」よりも「人間」を書く方が得意なんだよなぁ……としみじみ思う1冊である。
悪霊の午後 遠藤周作 光文社文庫