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どこで差がついてしまうのか?

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タイガーマスクこと伊達直人の名義で養護施設の子ども達にランドセルを贈る活動をしていた男性が自身が名乗り出ることで「児童養護の支援が拡充されれば」と顔出しをしたと言うニュースを見て「なんて立派な人だろう」と感心した。

男性自身も子どもの頃に養護施設でお世話になっていたとのこと。

19年前から支援活動していて、ランドセルについては平成22年かから贈り続けているらしい。

19年前というと男性は24歳。そんな若さで自分以外の誰かのために頑張っていただなんて素敵過ぎる。私が24歳の時は自分のことしか考えていなかった。

環境に恵まれなくても立派な人間になる人と、そうでない人とでは、どこで差がついてしまうのだろう?

不幸になったり犯罪を犯したりする人達の中には「自分がこうなったのは環境(親)が悪かったせいだ」と主張する人がいるけれど、劣悪な環境に置かれても立派に成長する人だっているのだ。

確かに恵まれた環境にいる人と、そうでない人とでは苦労の度合いも違うし、恵まれた環境にない人は気の毒だとは思うものの「でも、それってさ…」と言う気持ちになってしまう。

年下の知り合いに中学しか出ていない女性がいる。

「イマドキ中卒って…」と思われる人が多いと思うし、実際彼女の育った環境は複雑を通り越して腹立たしいレベル。

彼女は「私は勉強出来ないし、中卒だし…」と言うけれど、その環境で道を踏み外すことなく、やってきたのは偉いと思う。

なんとなく高校や大学に行った人よりずっと立派だ。私は彼女を尊敬しているし、彼女にもそう伝えている。

彼女は中卒で手に職系の仕事について、その辺のOLさんよりずっと高収入の社会人になって、今は結婚して主婦になり、彼女の足を引っ張ってばかり…としか思えない親の面倒まで見ている。

さて。「どこで差がつくか」って話に戻そうと思う。

劣悪な環境に置かれても立派にやっていける人って、何が違うのだろう?

持って生まれた資質なのか、それとも運とかめぐり合わせなのか。「持って生まれた資質」と言うなら、ロクでもない親から立派な人間が生まれる訳がないと思うのだけど、そうでもないから不思議でならない。

運とかめぐり合わせ…と言うなら、ほぼ同じ環境で育った兄弟は揃って立派になったりクズになったりしそうなものだけど、そうとも言い切れないから違う気がする。

そんな事を考えている私は…と言うと立派でもなんでもない人間で「出来るだけ世の中に迷惑かけないように生きよう」と言うレベル。

もちろん出来ることなら少しでも世の中のお役に立ちたいとは思っているものの、特に何もしていない。

特に何もしていないので募金(信頼出来る団体に限る)等、気楽に簡単に参加出来る時は出来るだけ参加したいな…と思う。

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日記
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