内田百間とは、かの夏目漱石のお弟子さんである。
コアなファンが多い作家さんのようだけれども私は、ほとんど読んだことがなかったのでニュー・ジャンルの開拓……といった感じだった。
じつは私。恥ずかしながら漱石先生は、ちょっと苦手だったりする。『心』には感じ入るところがあったが、それ以外はダメだった。
そんな訳なので、漱石先生のお弟子さんが書いたこの作品も「もしかしたらダメかも」と思っていたのだが、意外と楽しめてしまった。
百鬼園随筆
漱石門下の異才・内田百けんの代表的著作のひとつに数えられるこの随筆集は、昭和8年に上梓されるや大いに評判を呼び、昭和初期の随筆ブームの先駆けとなった。
漱石の思い出から自らの借金話まで、軽妙洒脱、かつ飄逸な味わいを持つ独特の名文で綴られた作品群は、まさに香り高い美酒の滋味妙味たっぷり。
アマゾンより引用
感想
なんてったって百鬼園先生(内田百間)はお茶目オヤジなんである。
いいとしした大人で、しかもドイツ語の教師をしているというのに、その行動たるや馬鹿馬鹿しい事この上ない。
子供みたいにヨーヨーに熱中してたり…ドイツ語の教師なのにドイツ語喋れないフリをしてみたり…電車の席を譲るタイミングを掴めずに、ウロウロしてみたり…訳もなく人間ウォッチングに没頭してみたり…
ひとことで言うなら「どうしようもないオッサン」という感じなのだ。どうしようもないあたりが、たまらなく可愛くてお茶目なんである。
私は誕生日がくるたびに「1つ大人になった分だけ変化があるはず……などと思っちゃう人間なのだけれども毎年「年とっただけで、なんにも変わっちゃいないのねぇ」……などとガッカリする事が多い。
大人=立派であるべき…という図式が刷り込まれているために馬鹿馬鹿しいことをする自分は、どこか不完全なモノなんぢゃないかと、そんな風に思ってしまう部分があるようで。
だが、しかし!
百鬼園先生の随筆を読むと「大人だって馬鹿でもイイじゃない」……と思えてくるから心強い。
つまらない事に、やたら熱中したり「あちゃちゃちゃちゃ」と思うような失敗をしたり、そんなことも、こんなこともノー・プロブレムって気になってしまうのだ。
百鬼園先生の随筆は馬鹿な大人の福音だと言っても過言ではないだろう。
もしも、現代に内田百聞が生きていたとするとネット界でテキスト・サイトなど開き、読者の反応を覗き見ては「むふふふっ」と1人笑いをしていたんぢゃなかろうか……なんて想像をしてしまった。
時代が変わっても通じる笑いもあるんだなぁ~と思った。