わたしは、たとえ「イマイチだなぁ」と思った作家さんの作品も、とりあえず3冊は読むのを身上にしている。
どんな大作家だって作品の全てが面白い訳ではない。
もしかしたら初めて手に取った1冊は、その作家さんにとって最低の1冊かも知れない……と思うと、やはり「とりあえず3冊」と思ってしまうのだ。
井上荒野の作品はこれで2冊目だが、掟を破って3冊目は「もう、いいや」と思ってしまった。
ひどい感じ 父・井上光晴
没後十数年たっても愛され続ける作家・井上光晴。その生涯は多くの謎に包まれていた。
旅順生まれ、炭鉱での労働経験、それらはすべて嘘だった。何事もドラマチックに仕立てなければならない、「全身小説家」井上光晴の素顔とは?
そして、ガン闘病の真実。小説家・井上荒野が父の魅力のすべてを書きあげる。
アマゾンより引用
感想
自分の身内や、友人といった近親者を書いた作品というのは、たいていそれだけでも面白いことが多い。
作品としはイマイチでも、その人を思う気持ちの熱さにほだされてしまうことが多いのだが、残念ながら、この作品には熱さがまったく感じられなかった。
こんなことを書くのは躊躇われるが「この人って作家に向いていないのではないだろうか」と思ってしまったほどに。
私が、そんな酷いことを思ってしまったのには理由がある。人間がちっとも生きていないのだ。
自分の感性と掛け離れていて、その面白さをまったく味わえなかった作品であっても「やっぱ。作家って凄いよねぇ。こんなところまで観察してるんだ」とか「作家って嫌らしいねぇ。こんなことまであばき立ててさ」とか、そんなことを思うものだが、井上荒野の書く作品では、これっぽっちも思えなかったのだ。
もしかしたら、井上荒野は人間が好きでないのかも知れないなぁ……とさえ思った。
評論や論文といった文章と、小説との決定的な違いが、その大きな境目が見られなかったのだ。
「面白くなかった」ということばかり書いていても不毛なので、中でも面白かったエピソードを書いておこうと思う。
井上光晴が、幼い娘である井上荒野が飼育していたヤドカリを、ある日、とつぜん「焼いてもいいか?」と聞く話は「これぞ作家」という感じで興味深かった。
子供の飼育しているヤドカリを焼いたら駄目でしょう。普通は。
だけど、そういうことを思ってしまう気持ちは分かる。すごく分かる。誰だって1度や2度は、そういう突拍子もないことを思ったりするものだ。
だけど、普通は実行に移そうとはしない訳だ。それをあえて、やろうとしてしまうあたりが、なんとも。かんとも。
ヤドカリのエピソードを読んで、井上光晴の小説を、ちゃんと読んでみようと思った。
……そう思えば、意味のある1冊だったのかも知れない。
二世作家で大成している人も多いけれど、やはり全員がそうなるとは限らないんだよなぁ……なんてことを実感した1冊だった。