読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

ブロッコリー祭り。

ある日の午後。居間で仕事をしていたらインターホンが鳴ったので玄関先に出てみると、ガラス越しにダンボールを抱えた人影が見えた。

トラックの停まる音がしなかったので、自転車か歩いて来ただろうと予想。「あ~。また果物か何かの押し売りだわ。どうやって断るかな…と思いつつ扉を開けると、娘のお友達のお母さんがダンボールを抱えて立っていた。

そして、そのダンボールの中にはギッシリとブロッコリーが詰まっていた。

彼女は農家の友人がいるそうで、採れ過ぎた野菜を沢山貰うらしい。

我が家はこれまでも何度となく野菜のおすそ分けを戴いている。例えば……水茄子50個とか。だけど流石に「ブロッコリー1箱」には度肝を抜かれた。

なんでもブロッコリーは自宅に3箱あるらしい。「明日はパート先に1箱持っていくつもりなんだけど、1箱手伝ってもらってもいい?」と言って、彼女は我が家の玄関先にダンボール一杯のブロッコリーを置いて去っていった。

想像してください……自分の目の前にダンボール箱にギッシリと詰められたブロッコリーがあるって状況を。

ブロッコリーは大好きだ。

サラダにしてよし、胡麻和えにしてよし。お弁当の隙間埋めにも重宝する。沢山あるならポタージュスープにしてもいい。

だけどダンボール箱一杯のブロッコリーとなると話は別。しかもそのブロッコリーは商品としては出せないバラけた状態なので、小さい房になっている分、言葉通りダンボール箱に「ギッシリ」詰まっていた。早急にどうにかしなくてはならない。

とりあえずダンボール箱と家にあったスーパーの袋をあるだけ持って、近所を周ることにした。

「そんなに沢山貰っても良いの?」と遠慮されたら困るので「好きなだけ貰ってください方式」を採用するとに。

ダンボール箱ギッシリのブロッコリーは持っていくだけで笑いが取れてしまった。

一体、なんなのだろう……スーパーの野菜売り場でブロッコリーが積み上げられていても可笑しいとは思わないのに、自分の目の前ダンボール箱ギッシリのブロッコリーが差し出されると笑わずにはいられないのだ。

大量のブロッコリーは「向こう三軒両隣」程度では捌けなかったので、自転車にダンボール箱を乗せてブロッコリーを配ってまわった。

娘が幼児の頃、公園で一緒に遊んでいた子のお宅とか、娘を可愛がってくれている近所のお年寄りとか。みなさん、喜んでブロッコリーを貰ってくれたし「久しぶり! 元気にしてた?」と、挨拶するのも楽しかった。

そしてダンボール箱ギッシリのブロッコリーは無事、その日のうちに配り終える事が出来た。

ダンボール箱一杯のブロッコリーには驚かされたし、配るのは大変だったけれど、懐かしい人の顔を見る事が出来たのは嬉しかった。

子ども達が小さい頃は公園でよく会っていた人達とは子ども達の成長と共に顔を見る機会が無くなってしまった。久しぶりに会った人達は、それぞれに忙しく、お元気そうで嬉しかった。

だけど、そんなに野菜が持て余される事があるのなら、他に活用方法はないのかな…とも思った。

最近、子どもの貧困についてのニュースが取り沙汰されているだけに、農家が商品にならない野菜をフードバンクに寄付する事が出来る体制が整っていたら、いいのにな……とか。

ブロッコリーのおかげで楽しい時間を過ごす事が出来た。そんな風に野菜を持ってきてくれる人がいるのも嬉しいことだし、野菜を貰ってくれる人がいるのも嬉しい。

なんだかんだ恵まれた環境だなぁ…なんて事を思った。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
日記
スポンサーリンク
白い木蓮の花の下で
タイトルとURLをコピーしました