有吉佐和子という作家は、話のネタを山ほどもっていた人だと思う。
『恍惚の人』のような社会問題をテーマにしたものから『紀ノ川』のような年代物『真砂屋お峰』のような時代ものまで「これでもか、これでもか」と次々と違うタイプの話を送り出きた人ではあるのだけれど、丹念に読んでいくと、それらの作品の中に共通点を見出すことが出来る
有吉佐和子の作品には、かなりの高確率で「血の繋がった(または繋がらない)同性との葛藤」が描かれている。
「血の繋がった(または繋がらない)同性との葛藤」は有吉佐和子文学のテーマである…とまでは言わないけれど、お家芸として確立されている題材だと言っても過言ではない。
『香華』でも母娘の葛藤が「これでもか」と言うほど描かれている。
香華
女としてのたしなみや慎みを持たず、自分の色情のままに男性遍歴を重ね、淫女とも言えるような奔放な生き方をする母の郁代。
そんな母親に悩まされ、憎みさえしながらも、彼女を許し、心の支えとして絶えずかばい続ける娘の朋子。
――古風な花柳界の中に生きた母娘の肉親としての愛憎の絆と女体の哀しさを、明治末から第二次大戦後までの四十年の歳月のうちに描く。
アマゾンより引用
感想
「同性の親との葛藤」というと『華岡青洲の妻』の嫁姑を連想しがちだが、有吉佐和子がしつこいくらいに描いてきたのは「母娘」の関係だったりする。
もちろん祖母と孫や、叔母姪、姉妹などというシュチュエーションもあるのだけれど、ダントツで「母娘」の登場回数が多いのだ。
そして、この作品は有吉佐和子の描いた「母娘の葛藤」においては、最高峰のクオリティを誇っていると思われる。
自由奔放で男無しにはいられない母と、芸者ながらも身持ちが堅く、真面目で不器用な娘の物語。
20代の頃は、ただひたすらに娘であるヒロインが可哀想で仕方がなかったけれど、30代になって読み返してみると母に翻弄された気の毒な女性……という単純さではなく、もっと深い哀しみと愛憎をひしひしと感じて、今更ながらに面白かった。
それにても有吉佐和子は意地が悪い人だ。
女のドロドロした感情や、女の性書かせたら天下一品だと思う。この作品の見せ場は、なんといっても「母親に嫉妬せずにはいられない娘の悲哀」だと思う。
そして、そこには憎しみだけではなく、底辺にそこはかとなく「情」が流れているという部分もポイントが高い。
20代に読んだ時と、20代に読んだ今と、感想は変わっているのだが、もっと年を経て読んだ時、どんな風に受け止めることが出来るのかが楽しみな作品である。
ずっと手元に置いて何度も読み返したいと思う。