読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

いつも不機嫌な人。

記事内に広告が含まれています。

職場にいつも不機嫌な人がいる。

私がパートをしている医療型児童発達支援センターには多種多様人が働いている。医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、心理士、保育士、栄養士、調理師等。そこで働く人達は全員が連携を取りながら利用者さん親子のサポートを行うのが仕事だ。

そんな職場で「いつも不機嫌な人」がいる。

その人はベテラン保育士でちゃんとした年齢は知らないけど40代の独身男性。異性の多い職場で働く…って何かと苦労が多いとは思うのだけど、それにしても彼はいつも機嫌が悪い。そして機嫌が悪い上に言葉がキツイ。

職場で彼が話題にのぼる時は常に「悪い人じゃないんだけどね」と枕詞がつく。「悪い人じゃないんだけどね」って枕詞は良い人には絶対につかない。暗に「あの人は悪い人です」と言っているも同然だ。

彼は神懸ってに仕事の出来る人で保育士としては尊敬しているし、子どもにとっては良い先生だと思うものの人間として尊敬できない。そもそもとして、福祉の仕事ってのは周囲の人との連携ありきで成り立つものなので「他人と上手くコミュニケーションが取れない人ってのはある意味において「仕事の出来る人」は言えない気がする。

どうして彼は1年中不機嫌で、他人と戦っているんだろうか?

私は彼が大嫌いだけど大嫌いとか言う以前に「もっと楽しく生きていく手段は無いの?」と不思議でたまらない。

他人に媚びを売ったりヘコヘコする必要はないと思うものの、周囲の人と仲良くしていた方がずっと楽しい楽に過ごせるのになぁ。

いつも不機嫌な人…と言うと、我が家の隣に住む筋金入りのクレーマーの女性も「いつも不機嫌な人」だ。私は彼女のことが嫌いだけど「なんか可愛そうな人だな」と思ったりする事もある。

例えば…職場や近所の道端で他愛のないこと(例えばお天気のこととか、新しくできたお店のこととか)を誰かが楽しそうに話していたとしても、彼や彼女はその輪の中に入っていけないのだ。

アメリカのとある研究に人の幸せはお金ではなく「人との繋がり」が大きく左右すると書かれていた。

昔は人類の人が村と言う社会で暮らしていた頃は密な人間関係の中で暮らしていたが、人類の進化と共に幸せの形も変わってきている。村社会のような密な人間関係は息苦しさもあるため、蜘蛛の巣のような形の人間関係を構築している人の幸福度が高くなる傾向にあるそうだ。

蜘蛛の巣のような人間関係って言うのは家族や親戚、恋人や友人…と言った密な関係ではなく「近所の人」とか「よく行くお店の店員」とか「散歩や出勤時に顔をあわせる人」と、ちょっとした挨拶を交わすような繋がりを沢山持っていると幸福度が上がる…ってこと。

いつも不機嫌で周囲から嫌煙されている職場の男性保育士や隣家に住んでいる人は、いつも不機嫌で人を遠ざけていて幸せなんだろうか?「そんなの大きなお世話だ。放っておいてくれ」って話なのかも知れないし、あるいは彼らはスナフキンのように孤独を愛する人なのかも知れないけれど。

……と。他人のことをアレコレ書いているけれど、これは私自身にも当てはまる事なので気をつけたいと思っている。一般的に「年を取ると頑固になる」と言われているし、どこの地域にも偏屈者と呼ばれる高齢者がいるものだ。

私は私の幸せのために年を取っても機嫌の良い人でいたいし、ほどほどに人と付き合っていきたいと思う。