読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

映画『コーダ あいのうた』感想。

3.5

『コーダ あいのうた』は聴覚障害者家族の中で1人だけ耳が聞こえる少女ルビーと聴覚障害を持った家族の物語。

「聴覚障害者家族がテーマの感動作」みたいな触れ込みで第94回アカデミー賞で作品賞他、数々の映画賞を獲得している評判作。

「こりゃぁ、鉄板映画って感じだなあ」と思って視聴したのだけど、なんかこぅ…思ってたのと違っていて、個人的にはなかなかの胸糞作品だった。全米が泣いた系の作品を「胸糞悪い」とか言っちゃうのは気が引けるのだけど仕方がない。

ただ、かなりリアリティ溢れる作品だとも思ったし、物語の解釈等が胸糞だった…ってだけで映画作品としてはよく出来ていた…とは思う。

スポンサーリンク

コーダ あいのうた

コーダ あいのうた
CODA
監督シアン・ヘダー
脚本シアン・ヘダー
原作エール!(英語版)
ヴィクトリア・ベドス
出演者
  • エミリア・ジョーンズ
  • エウヘニオ・デルベス(英語版)
  • トロイ・コッツァー
  • フェルディア・ウォルシュ=ピーロ
  • ダニエル・デュラント(英語版)
  • マーリー・マトリン
音楽マリウス・デ・ヴリーズ(英語版)
公開アメリカ合衆国の旗 2021年1月28日
日本の旗 2022年1月21日

ざっくりとこんな内容

ヒロインのルビーはマサチューセッツ州の港町で漁師をして暮らすロッシ家の長女。陽気な父のフランクと美しい母のジャッキー、父と共に漁師として働く兄のレオはルビーらとって大切な家族だった。

ルビーは家族の中で唯一の健聴者で常に家族の耳としてサポートをしていた。

ルビーは新学期を迎え、コーラス部への入部を決めます。ルビー自身、歌が好きだったこともあるが密かに想いを寄せるマイルズが目当てだった。

コーラス部の顧問のV先生は心熱い音楽教師だったが、ルビーは人前で歌うことが怖くてコーラス部の練習から逃げだしてしまう。聴覚障がい者の中で育ったルビーは、「言葉がヘン」と言われた経験から人付き合いが苦手でした。

そんなルビーにV先生は、「上手い下手ではなく、声で何を伝えられるかが大事だ」とルビーを導き、ルビーは、伸び伸びと歌うことが出来るようになる。

ルビーの歌の才能に気付いたV先生は、発表会に向けマイルズとデュエットを組ませてマイルズも目指しているボストンのバークリー音大へ進学を勧めるのだった。

一方、漁港では政府の介入で魚の値が低下し漁師たちの不満は限界に達していた。ルビーの父フランクと兄レオは、ルビーに通訳してもらいながら手話で懸命に訴え、漁師達自身が魚を売りさばく新たな漁師共同組合を立ち上げる。

地元の人達の協力もあって、漁師共同組合の仕事は軌道に乗るようになったが、ルビーの負担大きくなり、ルビーはV先生のレッスンにも遅刻してしまうようになる。

ルビーは家族に歌の道に進みたいことを打ち明けるが、ルビーの歌声を聞くことが出来ない家族は、才能があるのかが分からない上に、母ジャッキーはこの大事な時期に頼りにしているルビーがいなくなることに反対する。

障害はあっても仲良し家族

『コーダ あいのうた』が世界的に評価されたのは「障がい者であっても温かい家族関係を形成している」ってところだったと思う。

主人公、ルビーの両親は2人とも聴覚障害者だけど、熱烈に愛し合っていて子どもが2人いるような年齢だけど性生活も盛んに行っている。聴覚障害者の団体からは「真面目な作品ではなく、聴覚障害者でもこういう当たり前の営みをしているのだということを表現してくれて良かった」みたいな受け止められ方をしていたみたい。

障がい者もセックスするし、下品だったりもする。当たり前のことなのに、なんとなくそう言う事は言ってはいけない…みたいな風潮に一石を投じた事に関しては、確かにその通り。

『コーダ あいのうた』の中でルビー達家族は理想的な家族像として描かれていたような気がする。

娘の犠牲の元で成り立つ家族

『コーダ あいのうた』では「聴覚障害者であっても仕事もセックスも出来るよ」みたいなところが全面に出されていて、感動作…って言えばそうなのだけど、ルビー達一家の生活は娘であるルビーの犠牲の元で成り立っていた…ってところは正直ムカついた。

「ルビーしか耳が聞こえないのだから通訳してくれて当たり前」みたいな設定になっていたけれど「おいコラ待てよ!」みたいな気持ちになってしまったよね。

時代背景が「一昔前」ならいざ知らず、家族全員がスマホ持ってるような設定なんですよ? 「あんた達が持ってる手のひらサイズの板は玩具なんですか?」とルビーの家族にツッコミたい気持ちが押さえきれなかった。

聴覚障害者の生活が大変なのは分かるけれど、手話だけでなく筆談もできるしスマホでやり取りも出来る。骨伝導である程度音を伝える方法もあれば、電話等の音を知らせるために作られた聴覚障害者向けのグッズだってある時代なのだ。

「聴覚障害者だから無理っす~」って感じで娘に依存しているのはズル過ぎる…って話だ。お前達も努力しろ。話はそれからだ。

私は障がい者を支援する仕事をしていて「ズルく生きる障がい者」を知っているだけに、ルビーの家族は「障がいがあっても仲良く生きる素敵な家族」には、とても見えなかった。

ルビーの家族が仲良しなのは認めるけれど素敵だとは思えなかった。家族の誰かの犠牲の上に成り立っている幸せなんて認められない。

ジャッキー(母)…お前は許さん!

さて。『コーダ あいのうた』は見ていて途中まで胸糞悪い感を抑えることが出来なかったのだけど、そこはやはり感動作…ってことで主人公のルビーが報われるターンがやってくる。

父も兄もなんだかんだ言って、ルビーの気持ちを理解してくれて「家族のことは考えなくても良いから自分の道を行け」とルビーの背中を押してくれたのだけど、最後まで渋っていたのが母のジャッキーだった。

ルビーの母のジャッキーは作品の冒頭部から「母」ではなくて「女」だった。むしろ女でもなく子どもだったのかも知れない。世の中にはまれに「大人になれない永遠の子ども」がいて、ジャッキーはそのタイプだったのだと思う。

個人的な話だけど、ジャッキーの言動が実母と重なってキツかった…ってこともある。子を守り育てるべき母と言う立場にあるのに、子に依存し自分の幸せを第一に考えてしまう女。世の中には一定数「母になってはいけない女」が存在して、ジャッキーは完全にそのタイプ。

私自身、母と言う立場になったからこそジャッキーの言動がどうしようもなく腹立たしくて、最初から最後までムカつきが抑えられないほどにはリアルな人物描写だった。

『コーダ あいのうた』は毒親と娘を描いた毒親映画だと言っても良いと思う。

正直なところ『コーダ あいのうた』がどうしてここまで「聴覚障害者家族のハートフルな映画」としてヒットしたのか私には理解できない。確かに表面的にはハッピーエンドなのだけど、本質的な問題は解決していないような気がして。

…ってな訳で、世の中的には大絶賛だった『コーダ あいのうた』を私は素直に楽しむことが出来なかったのだけど、映像美とか音楽なんかは間違いない作品だし、私の好き嫌いはさておき名作なのだと思う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
映画
スポンサーリンク
白い木蓮の花の下で
タイトルとURLをコピーしました