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いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 柳澤桂子 小学館

原因不明の病で30年以上闘病した柳澤桂子が書いた哲学とも宗教ともつかぬエッセイ集。

病に苦しみぬいた人だからこその視点が興味深い作品ではあったが、読んでいて非常に辛い作品でもあった。

柳澤桂子は般若心経の現代語訳のような本を出していて、これはその副読本のような形で出版されている。

心の安寧とか救いとか、そう言うところがテーマになっていると思うのだけど、私には哲学的素養も宗教的素養も持ち合わせていないらしく、ただただ辛い作品だった。

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いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる

話題の生命科学者・柳澤桂子の生き方・考え方がすべてわかる日記初公開ドキュメント!

「あの般若心経・現代詩訳の傑作(=ベストセラー『生きて死ぬ智慧』)を生んだ体験と思索のすべてが、本書でわかる」(俳人・黒田杏子氏の解説文より)。絶え間ない病苦と孤独のなかで、ついには尊厳死さえ決意……。

すがるものは信仰しかなくなり、独学で発心し、多くの人々の熱狂的な共感を呼んだ般若心経(空の哲学)新解釈に至るまでの、日記形式による36年間の悪夢と奇跡—真実の記録。まさに人生は苦なり。では、ひとはいかに救われるのか

アマゾンより引用

感想

柳澤桂子自身の体験を踏まえた考えと、色々な角度からみた「宗教」について書かれているのだけれど、体験が壮絶過ぎるのと、宗教に救いを求めずにはいられなかった柳澤桂子の叫びが辛過ぎた。

たとえば。柳澤桂子が電動車椅子に乗っていて、ある人から「大変ですね」と声をかけられる。そこで作者は「憐れまれている」と嫌な気持ちになり「声をかけた人は可哀想な人に声をかけて心地よかっただろう」と思う。

こういう考え方って、分からなくは無いけれど哀しいなぁ……と思った。

私は柳澤桂子ほど辛い経験をしていないからそんな事を思うのかも知れないけれど、決して順風満帆な人生を送っていた訳ではない。

私の人生ですごく辛かった時、他人から優しい言葉を貰ったのはとても嬉しかったし励みにもなった。「声をかけた人は可哀想な人に声をかけて心地よかっただろう」なんて思った柳澤桂子は、どんなに辛い毎日を送っていたのかと思うと、なんだか泣けてならなかった。

柳澤桂子があまりの辛さに尊厳死を選びたいと家族に話した時のエピソードも辛かった。

原因不明の病に苦しんでいた時、柳澤桂子はちっとも家族に共感してもらえていないのだ。

家族には家族の思いがあるのは分かるけれど、柳澤桂子は家族の中にいて、病と2人連れで孤独を感じていたのだろうと言う事が想像出来て居たたまれない思いがした。

柳澤桂子言葉を借りるなら「可哀想な人に憐れみを感じて心地よかっただろう」って風になるのかも知れないけれど、それでも私は柳澤桂子を気の毒に思った。

残念ながら私には到底理解できなような話が多かったのだけど、宗教とは彼女のような人にこそ必要で、また彼女のような人だからこそ深く学べるのかも知れないなぁ…と思った。

「面白い」というような類の作品ではないけれど、色々と考えさせられる1冊だった。

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白い木蓮の花の下で
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