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映画『ラースと、その彼女』感想。

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2020年はコロナ自粛の影響もあって家で映画を見まくっているのだけど『ラースと、その彼女』は今年度、家で観た映画の中でもブッチギリで面白かった。

テーマがテーマなだけに観る人を選ぶ作品だし、万人受けはしない気がするけれど私の心には刺さる作品だった。苦手な人もいるかも知れないけれど全世界に向けてオススメしたいくらいグッときた。

『ラースと、その彼女』は主人公ラースがリアルドールを恋人として連れてくる…って話なので、リアルドールと聞いて「…ちょ…無理…」ってなった方にはオススメしない。

リアルドールが登場する映画と言うと『空気人形』を思い出す人も多いと思うけれど『空気人形』とは路線が違って、良い話系なのでそこは安心して欲しい。

今回は軽くネタバレ込の感想なのでネタバレNGの方はご遠慮ください。

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ラースと、その彼女

ラースと、その彼女
Lars and the Real Girl
監督 クレイグ・ガレスピー
脚本 ナンシー・オリバー
製作総指揮 ピーター・バーグ
出演者 ライアン・ゴズリング
音楽 デヴィッド・トーン
撮影 アダム・キンメル
公開 アメリカ合衆国の旗 2007年10月12日
日本の旗 2008年12月20日

あらすじ

主人公のラースはアメリカの田舎町に住む26歳の青年。心優しく町の皆に好かれているが、シャイで特に女性と話すのが大の苦手。

母はラースを出産する時に亡くなっている。兄のガスは家を出て独立し、父と2人で暮らしていたが、その父も亡くなって1人で暮らしていた。

ある日、兄のガスが妻のお腹の大きなカリンを連れてラースの住む家に戻ってくる。

ラースの実家は兄と兄嫁が暮らすことになり、ラースはガレージを改装した部屋で暮らすことになった。カリンはラースを心配し、ガスも同じ家で一緒に住むことを何度も提案するが、ラースは首を縦にふることはなかった。

ある日、ラースが彼女を紹介したいと言い出す。

ラースの事を心配していたガスとカリンは最初喜ぶが、車いすに乗った元宣教師でブラジルとデンマークのハーフであると説明された女性ビアンカを見て2人は仰天する。

なぜならビアンカはアダルトサイトで販売されているリアルドールだったのだ。

ガスはラースがおかしくなってしまったとパニックになるが、妻のカリンは「ビアンカを病院で診察してもらおう」とラースを説得してラースとビアンカを病院に連れて行く。

ラースを診察した女医のバーマンはラースのビアンカについての妄想は何か理由があるのだから、しばらく受け入れていこうとガスを説得する。

ラースを受け入れることを決めたガスとカリンは教会の年長者に相談する。

最初は「リアルドールを教会に連れてくるなんてとんでもない」と言っていた年長者達だったが「こんな時、イエスならどうするか?」と言う観点から、リアルドールのビアンカをラースのガールフレンドとして扱うことに決める。

ラースはビアンカを教会やパーティーに連れて行き友人たちに紹介したり、両親の墓へ案内したりと幸せな時間を過ごすのだが……

自分の家族がリアルドールを連れてきたら?

『ラースと、その彼女』はコメディ映画を装った真面目な映画だと思う。

もし自分の家族の誰か(息子や娘、兄弟姉妹)が性的な道具をして使われているリアルドールを「私のパートナーです」と連れてきたら、どんな反応をしたら良いだろう?

私の場合、中学生の娘がいるのだけど、彼女もあと10数年したらパートナーを連れてきても不思議じゃない年齢になる。

私は彼女が同性のパートナーを連れてきても、年の差のあるパートナーや、子どものいるパートナーを連れてきても、それなりに受入れることが出来ると思うけれど、流石にリアルドールを連れてこられたら冷静ではいられないと思う。

ラースの兄のガスは「ラースの頭が狂った」とショックを受けるのだけど、それは当然の反応だと思う。

だけどガスとガスの妻のカリンはパニックになりながらも、ラースに話をあわせてラースとビアンカ(リアルドール)を病院に連れていくのだ。

ガスとカリン……なんて出来た人なんだ!

私だったらパニックになって、あんなに冷静な対応は出来ないと思う。

ガスとカリンが冷静に対応出来たのは、もちろん彼らが立派だった…ってこともあると思うのだけど、ラース自身が日頃から「いい人だった」ってこともあったと思う。

ラースはシャイで人付き合いが苦手だけど、心優しい青年として描かれていて「ラースを傷つけたくない」って気持ちが強かったのだろう。

それにしても、自分が実際にあの状況になったらあんな風には対処出来ないよなぁ…と感心してしまった。

街中の人が立派過ぎた

病院で「ありのままのラースを受けて入れてこう」って方針になった訳だけど、田舎町で車椅子にリアルドールを乗せてウロウロしていたら間違いなく目立つ。

ガスとカリンは教会の年長者達にラースとビアンカのことを相談するのだけど、これは素晴らしい方法だと思った。

どうしようもない状況になってしまった時、隠して自分達の中でおさめようとするよりも、外部に助けを求めるのは賢い方法だと思う。

実際、福祉の世界では「家族で手に負えない時は公的機関に頼る」「公的期間は専門家化と繋がりつつ支援する」と言うことが重要視されている。1人じゃ上手くいかない事でも、周囲に助けを求めて巻き込むことで上手く行くことは多々あるのだ。

幸い、ラース達が通っている教会の人達は「イエスならどうされたか?」と言う観点からラースとビアンカを受けて入れることにするのだけど、ここからの展開が最高だった。

教会のご婦人は「ビアンカがボランティアをしたいって言ってるからボランティアに連れ出します」とビアンカを連れて行くし、美容室のオーナーはビアンカの髪を流行りのスタイルにしてくれる。

街の人達は街をあげてラースの妄想に付き合ってくれるのだ。

認知症の人にも当てはめて考えられる

ガスとカリン、そして街の人達がラースにとった行動は「作り話だから出来たこと」と言ってしまうばそれまでだけど、これって知的障害だったり、精神障害だったり、認知症の人との関わり方のお手本だと思う。

なかなか難しいけれど「自分では理解できない相手を受け入れる」って大切なことだ。

私自身、老いた母達やパート先で知的障害や発達障害を持ったお子さんと関わる時に「受け入れる」ってことの大切さを肌で感じることが多い。

人は自分と違う考えや行動の人と対面したとき、つい怒ってしまったりするけれど、相手によっては「怒る」ってことがまったく役に立たなくて、むしろ事態を悪くさせてしまうことがある。

  • 無理なものは無理。
  • 出来ないことは出来ない。
  • 譲れないものは譲れない。

そして、相手を受けて入れることが困った状況の突破口になったりする訳だけど、ラースもまた違う段階へと突入していく。

ラースの成長と選択

『ラースと、その彼女』の場合、ラースの妄想とドタバタで終わるのではなく、ラースは物語の後半で大きな変化を見せる。

ガッツリとネタバレするのは避けたいので、どんな形で落ち着くのかは伏せておくけれど、ラースが変わることが出来たのは兄や兄嫁、街の人達が「ラースとビアンカを受けていれくれたから」ってところが大きいと思う。

「ラースがリアルドールを恋人として連れてくる」と言う設定は突拍子もないように思われるけど、実は丁寧に伏線と説明がなされている。

  • ラースの母親はラースの出産時に亡くなっている。
  • 父親は人嫌いでラースは人付き合いが苦手になってしまった。
  • 兄嫁(カリン)の妊娠。
  • ラースは人と触れ合うことが苦手(触れられると痛いと感じる)。

ラストの大団円っぷりについては「現実だったら、あんなに上手いこといかないよなぁ」とは思ったけれど、作品としてはあのラストが最良だったと思う。

勢いに任せて感想を書きなぐっているけれど、もう1回観て色々と考えたい…と思わせてくれる作品だった。

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