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黄落 佐江衆一 新潮文庫

『黄落』は還暦を迎えようという初老の夫婦が91歳になる父親と87歳になる母親の介護の日々を描いた物語。

人間が避けて通ることのできない「生」「病」「老」「死」という道程の中でも出来る事なら目を背けていたい「病」「老」「死」が鮮やかに描かれていて読み応え抜群の作品だった。

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黃落

第5回(1995年) Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。

還暦間近の夫婦に、92歳の父と87歳の母を介護する日がやってきた。

母の介護は息子夫婦の苛立ちを募らせ、夫は妻に離婚を申し出るが、それは夫婦間の溝を深めるだけだった。

やがて母は痴呆を発症し、父に対して殺意に近い攻撃性を見せつつも、絶食により自ら命を絶つ。そして、夫婦には父の介護が残された……。

老親介護の実態を抉り出した、壮絶ながらも静謐な佐江文学の結実点。

アマゾンより引用

感想

「老人介護」などというテーマは「ありきたり」な事であり、どこのご家庭にもある問題なので、ある意味において「まったく珍しくも、なんともない物語」ではある。

しかし「ありがちな感じ」は作者の筆の巧みさでもって見事にカバーされていた。なによりも私の心を直撃したのは主人公の男性が、自分の親にたいして「死んでくれ」と心の底から願う場面だ。

親に対して「死んでくれ」とは人道に反する感情だとは思うのだけれど、じつは、私も過去に同じ感情を抱いた経験があるので正直なところ、とても他人事とは思えなかった。

私の父はアルコール性の肝炎が進行して、脳が萎縮してしまったため、最後の8ヶ月は50代にして「痴呆症の老人」と同じ症状に陥ってしまった。

凶暴になったり、暴言を吐いたり、暴れたり。笑ったり。もっとも、暴れるだけの力もなくなるほど病状が進んでからは「いつもニコニコ笑っている赤子のようなオッサン」になったのだけれど。

父にはもう快復の見込みが残されていないと主治医に告げられた日に主治医と私達家族の間で「その後の処置」につてい話し合いが持たれた。

ポイントは「どこまで延命」するのか…という事だった。

父は脳が正常な頃に「医学にしがみついて生きるなら死んだ方がマシだ」と言っていた事から、父の意志を尊重して「延命はしない」という方向で治療がすすめられることになった。

本来なら病院は「病を治療する機関」であるため、まったく何もしないという訳にはいかないということで法律的にも、保険制度的にもギリギリのラインで緩慢に治療が進められることになった。

父の主治医は心の熱い人だったので「病院の方針」と私達の意志の間に立って、最後まで私達の意志を貫く方向でもって尽力してくださった。

本来ならホスピスでもない限り、今の日本の病院では「治療をしない患者」というのは受け入れられない場合が多いようなので私はいまだに、父の主治医には心から感謝している。

私は「父の意志を尊重して」と書いたのだけれどそれには少し語弊がある。

なぜなら「延命しない」というのは父の意志でもあったのだが私達家族……母や愚弟の意志はともかくとして「延命しない」という事は少なくとも私の意志であったのだ。

「お父さん。悪いけど、もう死んでちょうだい」

私は心の底から父の死を願った。

良心の呵責など微塵も感じはしなかった。むしろ、そんな状態で父に生き続けられても困るとさえ思っていた。

私にはもう治る可能性の無い父の「生」よりも、私と母や愚弟の「生」の方が大切だったのだ。

親の死を心から願うなんて人として最低の感情だと思うのだけれど同じような経験をされた方は意外と多いのではないかと思う。そして、これから先、そんな経験をされる方も多いだろう。

『黄落』という小説は、その辺の生々しい感情が見事に描かれていた。

老人介護の問題云々……と言うよりも、むしろ人としてのタブーを感じてしまった人の哀しみと、憤りと、悔恨が織り込まれた小説だと私は思った。

しかも、この小説には、それ以外に「もう1つ」ピリッとしたエッセンスが秘められていたのだ。

70年間連れ添ってきた夫婦の間に秘められた……と言うよりも「妻は夫に従うべし」という時代に生きた妻が痴呆により、人から遠ざかっていく過程で自分の感情を取り戻していく……という姿に私は胸を打たずにはいられなかった。

病に臥し、老いて、そして死んでいく……

その過程は誰1人として逃げることのできない道であるがゆえにドラマがあり、その中で人間の「本性」のようなものが見え隠れしてしまうのだと思った。

現在、私は恐らく自分より先に死んでいくだろう母と生活している訳なのだけれど……

「お母さん。悪いけど、もう死んでちょうだい」

そう思う瞬間が来るのかも知れないなぁ……などと思いつつ静かに本を読み終えた。

もちろん、あっさりした死に際の方もたくさんおられる事だろう。

親の死…あるいは夫や妻の死を願う瞬間などできれば味わわずに生きていきたいと思うのだけれど今の進んだ医学では死ぬのも、なかなか大変なようである。

突き詰めて考えてみると「何もかもがとにかく大変」で生きている事さう嫌になってしまいそうだけど『黄落』の中には小さな「救い」が2つばかり鮮やかに描かれていた。

1つは死に逝く母が息子夫婦に残していった哀しくて大きな愛。(その「愛」の形はネタバレになると興ざめなので伏せておきます)

もう1つは「自分の子供達には、決して同じ思いをさせない」……という親を見送った息子夫婦の強い意志だ。

大きな愛と、強い意志が「今」の世の中を作ってきたのだなぁ……と思った。

現在ある「福祉サービス」も10年前に存在しない物も多いのだ。

もちろん、まだまだ充分だとは言えないのだけれども。

貪るように、一息で読んでしまった1冊だったがもう1度、ゆっくり味わって読みたいと思う1冊だと思う。

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白い木蓮の花の下で
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